バンコク旅日記

2009年12月01日〜12月07日

 海外旅行は何時も旅行会社のパッケージツアーに参加していたのですが。今回は、息子がバンコクに住み始め
1年近くになるので、日頃の生活の様子を見に出掛ける事になりました。季節的にもちょうど乾季で最適な旅行シ
ーズンと思い急遽、格安航空券を買い求め現地のホテルの手配をして貰い出掛けました。
 
1日目 12月01日(火)
 自宅から近鉄学園前までタクシーで行き、PM13::00発のリムジンバスで関西国際空港に向う。PM14:20
関西国際空港に到着、日本航空カウンターで搭乗券を受け取り搭乗手続きを済ます。
 
 JL727便 PM17:25定刻、関西国際空港出発。 
今回、直行便を選択し、久し振りにJALに搭乗したのですが、国際便に乗ってお絞りも出ない、ウエルカムドリンク
も出ない、搭乗時間的にもディナータイムなのに他の航空会社の軽食程度の夕食しか出ない始末。屋台骨が崩れ
かかっているのか、いくらエコノミークラスとは言えちょっとサービスの低下が目に余り不満一杯、おまけに日本人の
客室乗務員も殆ど見当たらず、外国の飛行機に乗っているような気持ち・・・。

 飛行時間6時間20分
 PM21:45 バンコク国際空港に定刻到着、入国審査後、出迎えの息子と落ち合いタクシーにてバンコク市内の
ホテルに向う。
宿泊ホテル ホープランド46ホテル PM23:30 チェックイン。
 
 
2日目 12月03日(水)    バンコク市内観光
 息子の知人が経営している旅行会社でドライバー、日本語ガイド付き、日帰り観光ツアー(3日間)をセットしてもらう。
AM08:00 ホテル出発。
王宮側の桟橋から眺めたワット・アルン  
 ワット・アルン Wat Arun
川のほとりにそびえる暁の寺院
 渡し船でのアクセスが旅情を誘う、バンコクのシンボル
である大仏塔は、時間帯で異なる美しさを見せるが、仏
塔を覆う陶器のかけらが朝陽に反射して、神々しい輝き
を放つ美しさは、夜明けを意味するその名にふさわしく暁
の寺と呼ばれている。創建当時は今よりずっと小さかった
大仏塔の大改修にラーマ2世が着手し、ラーマ3世が完
成させた。ラーマ4世(モンクット王)が装飾を施した。
高さ79m、周囲243mある大仏塔、塔に上る階段は急勾配です。  
 大仏塔


 高さ79m、周囲243mのラーマ1世の時代に建立
されたタイ最大のクメール様式のプラーン(仏塔)その
形がヒンドゥー今日の神々が集うとされる神話上の聖
地、須弥山を表す。又、大仏塔の四隅に小さなプラー
ンを配し、頂上に三叉の柔と言う組み合わせは仏教の
宇宙論などを示し、宗教的な意味合いが深い。
エメラルド仏が安置されていた寺  
 エメラルド仏が安置されていた寺

 ワット・アルンの正式名はワット・アルン・ラチャクラー
ラム。通称は『暁の寺』寺院のシンボルである大仏塔
(プラーン)は、チャオプレヤー川西岸のランドマーク、
そのシルエットは10B硬貨にも描かれている。前トンプ
リー王朝のタクシン王が王室の守護寺に指定し、本尊
はワット・プラケオに移されたエメラルド仏だった。当時
はワット・チェーンと呼ばれていたが、大仏塔の表面を
中国陶磁器の破片で装飾したラーマ4世により、ワット・
アルンと改名された。また、三島由紀夫の小説「豊饒の
海」第3巻『暁の寺』のモチーフにもなっている。
 
 多彩な彫像


 四隅からなる大仏塔のしゅういをあるくと、
半身半鳥の乙女キナリなど神話の神々の
彫像を間近に見ることが出来る。

 
彩色陶磁器片で、装飾されている。  
 彩色陶器片


 ラーマ4世が寄進された何千枚もの中国の
彩色陶磁器片で花や、植物がデザインされ装
飾されている。


    画像クリックで拡大
彩色陶磁器片で、花や植物がデザインされて装飾されている。
 
 インドラ神


 大仏塔の上部の壁がんの前に据えられている、
神の使者エラワン(ゾウ)にまたがったインドのヴェ
ーダ神話の雷霆の神(軍神)で、仏教で言えば帝
釈天にあたる。
 
 本堂


 高さ6mのヤックが門前を守る。小さな本堂の
存在は希薄になりがちだが、寺の創建時からの
由緒ある建物で、堂内には29体の仏像が安置
され、本尊の台座にはラーマ2世の遺骨が納め
られている。
大仏塔上からの王宮周辺の眺望 大仏塔上からの王宮周辺の眺望
 
                        ワット・トライミット(黄金仏寺院) Wat Traimit 
 ここの黄金仏はアユタヤー朝時代。ビルマ軍の略奪から守るために漆喰で覆われ、真の姿を忘れられたまま放置されていたが今世紀半ば、運搬中に転げ落ちた拍子に漆喰が割れ、純金の光を放って発見されました。高さ4m、重さ5.5t、純度約60%の黄金仏(時価120億円)は新しく立て替えられた建物に安置されているのですが訪問したときはまだ公開されていませんでした。
 
新しく建て替えられたワット・トライミット
新しく建て替えられたワット・トライミット 写真の仏像は黄金仏では有りません
 
                  ワット・ポー Wat Pho
               黄金の涅槃仏が見守るバンコク最古の王立寺院
 威厳のある王宮周辺に比べて、活気ある庶民的な雰囲気が親しみやすい、ラーマ1世が着手し、ラーマ3世が
大改修を敢行。ラーマ1世が建立した本堂には、外側の基壇部分に「ラーマキエン」の場面を彫刻した154枚の
大理石版が並ぶ。又、本堂を囲むかいろうには、ラーマ1世がアユタヤーから移した約400のアユタヤ様式の仏
像が安置されている。境内に点在する多彩な中国の石像など見所は尽きない。
黄金に輝いた寝釈迦仏の優しい顔  
 大寝釈迦仏


 涅槃仏では大差偉大、あまりの大きさと金箔に
覆われたまばゆさに圧倒されます。このポーズは、
悟りの境地に達した仏陀を表す。廃刊は頭から足、
背後のじゅんに。背後に並ぶ鉢に再選を上げると
願いが叶うと言われています。
涅槃仏全長長さ46m、高さ15m。  
 足裏の螺鈿細工
 真珠母貝を使った精巧な螺鈿細工は、仏教の108の
右中間を描いたもので、吉兆を示す図像で、仏陀の悟り
を意味する。

涅槃物の有り裏の螺鈿細工





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寝釈迦仏の長さ46m、高さが15mもある。  
本堂前でお祈りをする信者    
 本堂


 本堂扉の「ラーマキエン」を描いた真珠母貝の
象嵌細工は、バンコク王朝の仏教美術の最高傑
作といわれるもの。



 本堂前でお祈りする信者
4基の仏塔ラーマ1世、ラーマ2世、ラーマ3世、ラーマ4世の妻のものも建てられている  
 4基の仏塔


 ラーマ1〜3世と4世の妻の王を奉り彩色陶器で
装飾されている。
様々の仏塔が建ち並ぶ境内。 回廊に並ぶ、アユタヤーから移されたアユタ様式の仏像
様々な大きさの仏塔が建ち並ぶ境内 回廊に並ぶ、アユタヤーから移されたアユタ様式の仏像
回廊と きらびやかに装飾された寺院の建物と仏塔
きらびやかに装飾された寺院の建物と仏塔 きらびやかに装飾された寺院の建物
きらびやかに装飾された建物と仏塔
 
王宮とワット・プラケオ   Grand Palace & Wat Phrakeo 
ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)本堂   
 華麗なるバンコク王朝の歴史を垣間見る


 現在の国王ラーマ9世の始祖にあたるラーマ1世がアユタヤー王朝の荘厳な建築を手本に建設を目指したバンコクの中枢施設である。壁に囲まれた約20万uの王宮の敷地には、ラーマ1世に始まるバンコク王朝歴代の王たちがタイ芸術の粋を集めて築き上げた宮殿群と、バンコク王朝を守護する菩提寺、ワット・プラケオがある。王宮は1782年、王宮内に建立されたワット・プラケオは1780年代に創建され、タイ歴史上、宗教上でも貴重な建造物が一堂に会し、タイ文化の魅力を堪能できます。
ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)本堂  
エメラルド寺院本堂正面入口  
 ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)本堂

              Wat Phrakeo

  タイ人に愛される王室の守護寺院


 112体のガルーダが守る本堂の奥にエマラルド仏を安置し、金箔や色ガラスの芸術性の高い螺鈿細工を施した外観、内部に描かれた仏陀の生涯や仏教の宇宙観を示すフレスコ画も見事に描かれています。また年回、国王自らが行う本尊のお召し替えの儀式も有名です。堂内は撮影禁止になっています。
 エメラルド寺院本堂正面入口  
本堂の奥に安置されている本尊「エメラルド仏」  
 国の繁栄をつかさどる本尊エメラルド仏


 本尊のエメラルド仏は高さ66cmのヒスイ製で、不思議な霊力を持ち、古来よりこの仏像がある国は繁栄すると信じられており、タイ王国の権威、神性の象徴でも有ります。正式名はラタナコーシン(インドラ神の宝)。1436年にタイ北部のチェンラーイで発見されたとつたわり、スリランカ、ラオスなどを経てタイに辿り着いた。もともとはトンプリー王朝の守護寺院だったワット・アルンにあったが、ワット・プラケオの創建と共に移されました。
 エメラルド仏  
本堂を守っている112対のガルーダの面々  
 ガルーダ→迦楼羅 


 タイ王室の紋章になっているガルーダは、スコータイ王朝時代からタイを守ってきた最上級の神で、ヴィシュヌー神が乗る聖なる鳥で有り、ヴィシュヌー神の化身の一つでもある。日本では、仏教を守護する八部衆の一人迦楼羅とされている。
本堂を守っている112対のガルーダの面々  
左手の黄金の仏塔がプラ・スィー・ラタナ・チェディ  
 プラ・スィー・ラタナ・チェディ
 

 スリランカ様式の仏塔で、黄金色がひときわ目を引きます。ラーマ4世がアユタヤーのフット・プラ・すぃ¥・サンペトを模して建立した。内部に仏舎利が納められているが一般に非公開とされている。
 黄金色に輝くプラ・スィー・ラタナ・チェディ  
プラ・モンドップ・チェディ  
  プラ・モンドップ・チェディ
 

 ラーマ1世が書いた経典「金の法則」を納めた経蔵で、金と青ガラスで装飾された柱が美しい境内最古の建物です。内部は一般非公開です。入口をタイ仏教の守護神であるナークとヤックが守っています。
プラ・モンドップ・チェディを守るナークとヤック  
 ヤック→夜叉
 
 
門を守る巨大な鬼のような像がヤックで、もとはヒンドゥー教のヤクシャで日本では夜叉と呼ばれています。人を食らう恐ろしい鬼神のイメージが強いがタイでは身を挺して王を守る正義の味方として人気がある。八部衆のひとり。


 ナーク→龍神
 
仏教伝来以前の土着信仰の時代から存在していた。蛇や龍の神。悟りを開き座禅を組む釈迦を、雨から護ったと言う伝説から、仏陀の守護者の一人とされている。寺院の屋根に見られる尖った飾はナークをかたどったものとされています。
プラ・モンドップ・チェディ を守るナークとヤック  
全長1900mもある回廊  
 回廊

 全長1900mの回廊を飾る178場面が描かれた壁画はヒンドゥー教の神話「ラーマヤナ」をタイ仏教の解釈で綴った抒情詩「ラーマキエン」の物語を表したものです。
全長1900mもある回廊
精巧に造られたアンコールワットの模型
 アンコールワットの模型


 カンボジアをタイが支配した当時に、その壮大さに感動したラーマ4世が造らせたものです。精巧さは一見の価値が有ります、タイの威光を国民に喚起するためにここに置いたと言われています。
ワット・プラケオを守るタイ仏教の神様たち
チャクリー・マハ・プラサート宮殿  
 チャクリー・マハ・プラサート宮殿

 チャクリー宮殿は、現在は迎賓館として使用している。重厚な大理石造りで、イタリアのルネッサンス様式とタイの伝統様式を融合して造られている。宮殿前で行われる衛兵の交代式は時間が合えば見る勝ちが有ります。
アマリンドラ・ヴィニチャイ宮殿  
 アマリンドラ・ヴィニチャイ宮殿

 チャクリー宮殿の左手にある、アマリンドラ・ヴィニチャイ宮殿は、ラーマ1世の住居だった一部を後に裁判所として使用しました。現在は定期行事に使用されています。君主のみ座れる絢爛豪華な玉座が置かれた謁見の間を見学できます。
 
デュシュト宮殿  
 デュシュト宮殿

 チャクリー宮殿の右手にあるデュシュト宮殿は神々が宿る聖なる山を示す4層の屋根が芽に引く壮麗な宮殿です。ラーマ1世期に建造され、王の死去の際は、遺体は一時ここに安置される。宮殿は1789年に建立された。
仏像を補修中の職人 托鉢に出かけるワット・プラケオの僧侶達
仏像を補修中の職人 托鉢に出かけるワット・プラ・ケオの僧侶達
   
    昼食(飲茶)後アユタヤーへ向う。
 
          人工池に浮かぶ夏の離宮 
                バン・パイン夏離宮
 Bang Pain Sammer Palace 
 
正門脇に飾られた国王の誕生日(12月5日)を祝う写真。    
  歴代の王が夏を過ごした世界の美麗建築
 
   
 アユタヤー王朝24代目の王が建てた宮殿で、歴代の王が夏に訪れる別荘として利用されてきた。パヴィリオンと呼ばれる5つの館が点在し、人工池の真ん中にあるタイ風建築や中国風、ルネッサンス風など、其々の趣が有ります。 




 正門脇に飾られた国王の
誕生日(12月5日)を祝う写真。
タイ風建築の水上パレス
ワーロパート・ピーマン
王の居住や謁見の間として使われた建物
で、タイの歴史を描いた油絵が飾られている。
アイサワン・ティッパート
人工池の中央にあるタイ風建築物、別名「水上パレス」と呼
ばれているもので記念撮影のベストポイントにもなっている。
中国様式の建物(プラ・ティナン・ウィハ・チャムルン) 女王のための宿舎
ウェーハート・チャムルン
中国風の建物は宮廷の臣下たちの居室とした
使用されたものといい、中国の品のほかに日本の
陶磁器などが飾られている独特の佇まいです。
王妃のための宿舎


タイ伝統の動物の形に整えられた植え込み
タイ伝統の動物の形に整えられた植え込み
   
   
日本人町跡を示す石碑  
 
日本人村(町)跡 Japanese Old Town

 16〜17世紀、王朝がヨーロッパを始め日本、インドなどとの交易を盛んに行っていた17世紀の初め、、アユタヤーには約2000人の日本人が住んでいた。特に朱印船貿易で活躍した山田長政は有名で、村長としてここで過ごし活躍していた。徳川幕府の鎖国政策により日本人村も衰退し、18世紀には消滅してしまった。当時の町の位置は定かではないが、チャオプラヤー川岸に当時の資料を展示した歴史研究センターがある。
日本人町跡を示す石碑  
跡地に造られている日本庭園 日本人村跡の横を流れるチャオプラヤー川
跡地に造られている日本庭園 日本人村跡の横を流れるチャオプラヤー川
   
四方を川に囲まれた世界遺産の街
アユタヤー Ayutthaya
美しい水に恵まれ、1351年から400年余りにわたり栄えたアユタヤーは、
世界遺産に登録された数々の名刹が、川に囲まれた中州に集まっている。
 世界遺産を気ままに巡る
 現在のアユタヤーに残る寺院や宮殿、仏像は、ビルマ軍による破壊の跡が目立つが、往時を伝えるものとして1991年に世界遺産に登録されました。四方をチャオプラヤー川と複雑に要りこんだ支流に囲まれたアユタヤーは、天然の外堀に守られた島のような形状です。島の東側はホテルや、バスターミナルのある近代の町並、そして西半分一帯がかっての王宮跡や寺院など歴史的建造物が並ぶ、アユタヤー史跡公園の中枢部となっています。
ゾウに乗って遺跡見物も体験。(1人500B)  
 ゾウの背中からアユタヤーの遺跡を眺める


 象たちは何れも座椅子や日傘などで古式豊かにドレスアップされていて、象に揺られながら、かっての都を王様気分で優雅に短時間ですがアユタヤー遺跡の町を周遊するだけでも雰囲気が楽しめます。所々ビューポイントでは、記念撮影も可能です。
気持ち良さそうに横たわるワット・ロカヤ・スタの涅槃仏 気持ち良さそうに横たわるワット・ロカヤ・スタの涅槃仏
ワット・ロカヤ・スタ
アユタヤーに2つある涅槃像の一つで、1956年に復元された長さ28m、高さ5mの大きな仏陀の柔和な顔の表情が印象的。
気持ち良さそうに横たわるワット・ロカヤ・スタの涅槃仏
 
 王宮跡 
Grand Palace 
栄枯盛衰の歴史を伝える静かな古都
 初代ウートーンおうがタイ北部から住民と共に移住し、アユタヤー王朝を開いたのが1351年。アユタヤー王朝初の宮殿は、ワット・プラ・スィ・サンペットに建てられたが、1426年に火災で焼失した。その後、宮殿はトライローカナート王によって現在地に再建されたが、1767年にビルマ仁侵略された王宮の大部分は破壊し尽くされたが、跡地に立つと往時の面影も偲ばれます。
 
 ワット・プラ・マハータート  Wat Phra Mahathat 
   木に取り込まれた仏頭で有名な代表的な遺跡
 ラーメスアン王が建てたと言う説やポーロマラーチャー1世が建てたと言う説など諸説があります。13世紀の謎を秘めた有力寺院。ビルマ軍によって特に激しく破壊され、頭部を刈り取られた仏像の胴体ばかりが並んでいる。1956年に発見された宝物類や仏像は、国立博物館に収蔵されている。





      巨大な菩提樹の木の幹に埋もれている仏頭
巨大な菩提樹の木の幹に埋もれている仏頭
頭部が刈り取られた仏像の胴体ばかり並んでいるワット・ナー・プラメン  
 ワット・ナー・プラメン 
Wat Na Pramen

 アユタヤー王朝以前、アンコール王朝の影響下で建立されたと推定される貴重な寺院。発掘作業により、中国様式の陶器のかけらなどが数多く出土している。
 
 ワット・プラ・スィー・サンペット
           Wat Phra Si Sanphet

 アユタヤーで最大規模の寺院跡。正論様式の苔むした3つの仏塔には3人の王の遺骨が納められている。アユタヤー初代王朝「ロップリー王家」の王宮跡に1491年に建造された。仏塔は、バンコクのワット・プラ・ケオの原型と言われています。
  
黄金の仏像はビルマ軍に破壊されたが、遺跡はライトアップで黄金色に輝いている
  黄金の仏像はビルマ軍に破壊されたが、
遺跡はライトアップで黄金色に輝いている
PM20:00アユタヤー出発、ホテルに向う。 夕食は街のレストランM・Kにてタイ風シャブシャブ
 
参考資料 ブルーガイド(実業之日本社) わがまま歩きツアーズG タイ 



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