バルト三国周遊8日間  

第4日目 9月29日(金) 
 
ヴィリニュス  08:00 ホテル出発。  専用バスにてカウナスへ移動 (約102Km)
カウナス市内観光
カウナス
 中世の面影を残すリトアニア第2の都市カウナスは、14世紀に最初に登場する古い町で、15世紀半ばにハンザ同盟の本部が設けられ、商業活動の中心地として繁栄しました。旧市街にはこの頃のゴシック建築が数多く残っています。
 
旧日本領事館  (杉原記念館)
 第2次大戦初期、ナチスの迫害を逃れ日本通過に活路を求めてユダヤ人に、本国の指示に背向いてまでビザを発行して多くの命を救った杉原千畝氏の功績は、映画や多くの本で紹介され今ではよく知られています。当時リトアニアの首都が、ここカウナスにあった。
1940年7月、カウスの日本領事館前に突然人垣ができた。彼らはナチスに追われ、ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人だった。ヨーロッパにユダヤ人が安住できる場所がなく、シベリアを経由してアメリカ大陸に逃れるのが唯一息の候可能性を秘めた道であったため日本の通過ビザが必要だった、その前年、ドイツとソ連はバルト三国併合の秘密協定を含む平和条約を結んでおり、リトアニアにもソビエト兵がすでに入進していた。日本領事館も一刻も早い退去を求められ、その期日が近づくなか、杉原氏は決断を迫られ、領事館前に群れを成し救いを求めるユダヤ人たちを無視することが出来なくなった彼は、本国の指示に背いて、独断でビザを発行することを決めた。
 発行されたビザの数1600に及び、これによって実際に日本を経由して第3国に渡る事の出来たユダヤ人は6000人を超えると伝えられている。
旧領事館(杉原記念館)正面  旧領事館(杉原記念館)裏側
領事館執務室 発行されたビザと当時使っていた万年筆
   
杉原千畝の記念プレートが飾られている、カウナス駅と最後に宿泊したメトロポリス ホテル
カウス駅正面 カウス駅ホーム側出入口
カウス駅ホーム 駅舎の壁に飾られた記念プレート
メトロポリスホテル ホテルに壁に飾られた記念プレート
   
ベルクーナスの家
 15世紀に建てられたゴシック様式の傑作。伝説によると、この場所には雷神ベルクーナスを祀る神殿が在ったとの事。19世紀に修築が行われた際20cm大のブロンズ像が見つかったて、これこそベルクーナスという説とタタールによってもたらされたインドの神像だという説とで論争が起こったらしい。
旧市庁舎
 ”白鳥”に例えられる美しいバロック様式の建物。1542年に最初の基石が置かれ、18世紀半ばに現在の姿に建て直された。現在は結婚登記所となっている。旧市庁舎を囲む市庁舎広場は、中世には市場が立っていた場所。 
聖ペテロ&パウロ(ペトロイルポヴィロ)大聖堂
 赤レンガの美しい15世紀の大聖堂。壁一面に描かれたフレスコ画と彫刻で飾られた祭壇が非常に印象的。現在リトアニアのカトリックの枢幾卿がここを本部にしている。
   
カウナス城
 13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために造られた城で、ネムナス川は当時騎士団領とリトアニアとの国境となっていたため、何度もここで戦闘が行われた。1363年に騎士団に占領され破壊されたが15世紀ヴィタウタス大公の時代になって再建された。現在は外賓を接待する際などに使われている。
 
カウナス市内観光後、シャウレイに専用バスにて移動(約145km)
シャウレイ
 シャウレイは北部リトアニアの経済、文化の中心地。町の名は、ヴィキンタス率いるサモギティア人が帯剣騎士団を破った1236年のサウレの戦い(Saules musio)に由来する。
 
十字架の丘
 小高い丘に大小無数の十字架が立ち並ぶさまは、まさに創刊という言葉に尽きる。高さ5m以上の芸術的な十字架から、鈴なりにかけられたロザリオまで、その数リトアニアの生存者の数よりも多い。ただ、ここは墓場ではないので、死体は埋められていない。古い記録によれば最初の十字架は1831年ロシアに対する蜂起の後、処刑や流刑にされた人々のために建てられたらしい。近年は、十字架を建立が益々盛んになって、遠くアメリカやオーストラリアなどからも、移民の人々がかの地から運ばれた十字架を残して言っている。
  十字架の丘インホメーション
「十字架の丘」観光後、専用バスにて宿泊地リガ(ラトビア)に向かう。移動距離: 約130km
夕食後、ホテル到着 19:30           宿泊ホテル:コローナ ホテル ブリジータ