平成21年度山鉾巡行 2009年7月17日(金曜日)
先頭 長刀鉾 NAGINATA HOKO 所在地 下京区四条通東洞院西入 鉾先に大長刀をつけているのでこの名前で呼ばれている。長刀は疫病邪悪を はらうものとして、もと三条小鍛冶宗近の作が用いられていたが、今では宝物 として保存され、鉾頭は軽い竹製に錫箔を張ったものに変えている。この鉾は 古来「くじとらず」といい毎年必ず巡行の先頭に立ち、生稚児の乗るのも今では この鉾だけである。真木の中ほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の 人形を祀っている。屋根裏の金地薯彩百鳥図は松村景文の筆、破風蟇股の 厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫は胡粉色彩の彫刻は片岡友輔の作 である。 前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図 絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀〜18 世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。見送は雲 龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全 面の新調が完了した。 |
2番 芦刈山 ASHIKARI YAMA 所在地 下京区綾小路通西洞院西入 謡曲「芦刈」に基づく。故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る 老翁がやがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿を現す。 御神体(人形)の古衣裳は天正銘の小袖で重要文化財指定。 |
3番 白楽天山 HAKURAKUTEN YAMA 所在地 下京区室町綾小路下ル 唐の詩人白楽天が、道林禅師に仏法の大意を問うところである。道林 禅師は、緞子地の紫衣を着け、藍色羅紗の帽子をかぶり手に数珠と払子 を持ち松の枝の上に座し、白楽天は唐織白地狩衣の衣裳に唐冠をかぶり 笏を持って立っている。 前懸はトロイ城陥落を描いた16世紀の毛綴であり、大津祭月宮殿山の 見送と双幅である。見送はかって麒麟龍鳳凰文様の綴錦であったが、昭 和28年より山鹿精華作の北京万寿山図の毛織錦のものを用いている。 また胴懸及び水引は昭和53年フランスから購入した17世紀製の毛綴も ある。 |
4番 霰天神山 ARARETENJIN YAMA 所在地 中京区錦小路室町西入 京都に大火があったとき、霰が降り猛火は消えたが、 その時1寸2分(約3.3cm)の天神像が降ってきたので、 それを祀ったのが起こりである。火除けのお守りを授与。 「錦天神山」または「火除天神山」とも呼ばれている。 |
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5番 函谷鉾 KANKO HOKO 所在地 下京区四条通烏丸西入 鉾の名は、中国戦国時代斉の孟嘗君が鶏の声によって 函谷関を脱出できたと言う故事にちなんでつけられている。 前懸は、旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀末の毛 綴で重要文化財を平成18年復元新調している。 |
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6番 孟宗山 MOHSOH YAMA 所在地 中京区烏丸通四条上ル 「筍山」ともいう。山に飾る御神体(人形)は中国の史話 24孝から取材。病身の母を養う孟宗が、雪の中で筍を掘 り当てた姿を現している。見送はかって雲竜文様の綴錦 を用いていたが、昭和15年以来竹内栖鳳筆の白地墨画 孟宗竹図が用いられている。この地味な墨画の見送は、 極彩色豊かな他の山鉾のなかにあって、かえって異彩を はなっている。 |
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7番 四条傘鉾 SHIJOHKASA HOKO 所在地 下京区四条通西洞院西入 四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふり ばやしが巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、 応仁の乱以前に起源を持ち、傘の上には御幣と松を 飾る。明治4年以降途絶えていたこの傘鉾も昭和60 年再興され、昭和63年から巡行に欠かせない踊りと はやしが復元され、32番目の山鉾として巡行する事に なった。 垂りは鈴鹿雄次郎製作の麗光鳳舞之図である。 |
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8番 郭巨山 KAKKYO YAMA 所在地 下京区四条通西洞院東入 中国の二十四孝の一人郭巨が黄金の釜を掘りあて、 母に孝養を尽くしたというの故事にちなんで造られ「釜 掘り山」とも言われている。山に飾る御神体(人形)に 郭巨と童子は寛政元年金勝亭九右衛門利恭のさくで 前懸は昭和58年から上村松篁原画による秋草図、花の 汀図および春雪図胴懸、都の春図見送の綴織を順次 新調した。 |
9番 月鉾 TUKI HOKO 所在地 下京区四条通室町西入 鉾頭に新月型(みかづき)をつけているので、このなでよばれている。 真木のなかほどの「天王座」には月読尊を祀る。古い鉾頭と天王の持つ 櫂には「元亀年(1573)6月吉日大錺屋勘右衛門」の刻銘がある。また 正徳4年(1714)の鉾頭もあるが昭和56年から田辺勇蔵氏寄進の18 金製の鉾頭に変えている。屋根裏の金地彩色草花図は丸山応挙の筆。 破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられている立派なものである。 四本柱の錺かなぐ、破風飾の金具などは何れも華麗なもので山鉾の なかでも再興のものである。前懸のメダリオン絨毯は17世紀インド製の 優品、後懸は華麗なインド絨毯、胴懸はインドやトルコの絨毯を用いて いる。平成12年(2000)には前懸のインド絨毯も復元された。 ***ページの先頭へ*** |
10番 蟷螂山 TOHROH YAMA 所在地 中京区西胴院通四条上 蟷螂山は、「蟷螂の斧を以って隆車の轍を禦がんと 欲す」という中国の故事にちなんだ山で、別名「かまき り山」とも言われている。蟷螂山は再三戦火に遭うが、 そのつど再興され巡行を続けてきたが、元治の兵火で 大破。昭和56年、117年ぶりに再興された。 蟷螂山の特徴は、かまきりと御所車の車輪が動くなど、 山鉾として唯一のからくりが施されていることである。 |
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11番 油天神山 ABURATENJIN YAMA 所在地 下京区油小路通綾小路下ル 古くから町内に祭られていた天神を勧請して作られた 山で、油小路綾小路下ルにあるところから「油天神山」 とも、また勧請の日がちょうど丑の日に当たっていたので 「牛天神山」とも呼ばれる。山は正面に朱の鳥居を立て 金箔置の社殿にはもと風早家に伝来し後に町内の祠に 祀っていた天神像を安置する。真木の松の他に紅梅の枝 を華やかに立て鈴をつけている。 見送りは梅原龍三郎氏原画の「朝陽図」綴織。 |
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12番 占出山 URADE YAMA 所在地 中京区綾小路通室町東入 「鮎釣山」ともいう。神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣っ て戦勝の兆しとしたという説話による。御神体は金の烏 帽子に太刀をはき、右手に釣竿、左手に吊り上げた鮎を 持って立つ。神功皇后は古くから安産の神として祀られ、 山鉾巡行の籤順が早いとその年はお産が軽いといわれる。 水引は三十六歌仙図の刺繍、前懸と胴懸は日本三景の 綴織。見送は花鳥龍文様の綴織。 宵山には安産のお守りと腹帯とが授与される。 |
13番 菊水鉾 KIKUSUI HOKO 所在地 中京区室町通四条上ル 町内に古くからあった井戸、菊水井にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の 透かし彫りの菊花を付けている。真木の中ほどの「天王座」には彭祖像を祀る。 元治元年(1864)の兵火で焼失したが昭和27年、88年ぶりに再興された。 稚児人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童で能装束の舞姿である。 昭和29年には唐獅子図の胴懸、飛鶴図の前懸が作られ、30年には孔雀図の 豪華な見送が完成。その後下水引、二番水引が加えられ、また最近、深山菊水 図綴織見送が新たに完成した。このようにして、菊水鉾は年々装飾が充実し、 「昭和の鉾」としての偉容を示している。 **画像クリック** |
14番 太子山 TAISHI YAMA 所在地 下京区油小路通仏光寺下ル 聖徳太子を祀るのでこの名がある。聖徳太子が 四天王寺を建立に当たり、自ら山中に入って良材を 求めたという所伝にもとずき、他の山がいずれも松 を立てているのに対してこの山は杉を立て、その樹 に小さな如意輪観音像を奉載している。 宵山には聖徳太子にちなんで「杉守り」「知恵の お守り」が授与される。 |
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15番 綾傘鉾 AYAKASA HOKO 所在地 下京区綾小路通室町西入ル 綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾 の一つで、大きな傘と棒ふり囃子の行列として巡行して いた。この綾傘鉾も、江戸時代の天保ねん、一時小型 の鉾に改造されるが、元治元年の大火で、その大部分 を焼失する事になる。その後明治12年から17年まで 原型の徒歩囃子の形で巡行したことがある。棒振り囃 子は、赤熊をかぶり、棒を持ったものが、鉦、太鼓、笛 に合わせて踊るもので、壬生村の人々により奉仕され ていた。この綾傘鉾も町内の人々の努力がみのり、昭 和54年から巡行することになった。 |
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16番 伯牙山 HAKUGA YAMA 所在地 下京区綾子路通新町西入 「琴破山」ともいわれる。山の御神体は中国の周時代、 琴の名人伯牙とその友人鐘子期との物語に取材。伯牙 が鐘子期の死を聞いてその琴の弦を断ったという故事を 表している。 前懸は、上下詩文、中央に人物風景の有名な「慶寿裂」 の逸品である。 |
17番 鶏鉾 NIWATORI HOKO 所在地 下京区室町通四条下ル 中国の史話より取材、昔、唐堯の時代に天下が良く治まり訴訟用の太鼓 (諫鼓)も用が無く苔が生え鶏が宿ったという故事によって、その心をうつした ものという。鉾頭の三角形のなかの円形は鶏卵が諫鼓の中にある意味で、 鶏鉾の名の象徴と成っているとも言われているが、はっきりしたことは不明で ある。真木の中ほどの「天王座」には航海の神といわれる住吉明神を祀る。 前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されて 用いる見送りは有名な毛綴りで近年の調査によるとトロイの皇子ヘクトールが 妻子に別れを告げる図であるという。16世紀頃ベルギーで製作、江戸時代 初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されている。 ***ページの先頭へ*** |
18番 木賊山 TOKUSA YAMA 所在地 下京区仏光寺通西洞院西入 謡曲「木賊」の取材し、我が子を人にさらわれて一人 信濃国伏見屋の里で木賊を刈る翁を表している。御神 体は腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持つ。木 彫彩色の頭は仏師春日の作といわれ、足台には「元禄 5年6月吉日」の墨書銘がある。 前懸は唐人交易図刺繍、左右の胴懸は平成11〜13 年に復元新調した中国故事人物図の綴れ織、見送りは 中国明代の牡丹双鳳文様綴れ錦である。 |
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19番 保昌山 HOHSHOH YAMA 所在地 下京区東洞院通松原上ル 丹後守平井保昌と紫式部の恋物語に取材し、保昌が 式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿を表して いる。御神体は緋縅の鎧にたちをつけ、梨地蒔絵の台に 紅梅を一杯にもってこれをささげている。前懸の緋羅紗 地に蘇武牧羊図、胴懸の張騫巨霊人に鳳凰虎を配した 刺繍は丸山応挙の下絵である。近年それらを復元新調 している。 山の故事にちなみ宵山には「縁結び」のお守りが授与 される。 |
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20番 山伏山 YAMABUSHI YAMA 所在地 中京区室町通蛸薬師下ル この名は山に飾る御神体が山伏の姿をしているのでこう 呼ばれている。昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法刀に よってそれを直したという浄蔵貴所の大峰入りの姿を表し ている。左手に刺高数珠、右手には斧を持ち腰には法螺貝 をつけている。 前懸は雲竜文様の刺繍、胴懸は花卉胡蝶文様の綴錦を 用いている。見送は龍波濤文様の綴錦で、平成11年に復 元された。 |
23番 船鉾 FUNE HOKO 所在地 下京区新町通綾小路下ル 神功皇后を巡る説話によって鉾全体を船の型にし、 舳先には金色の鷁、艫には黒漆塗螺鈿の飛龍文様 の舵をつけ船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破 風入母屋造りの屋根から紅白の長旒、吹流しをひる がえす。鉾の上には皇后と陪従する磯良、住吉、鹿 島の三神像を安置する。主神神功皇后は神面をつけ 緋縅の軍装、その後に鹿島明神、舳先には海神安曇 磯良が龍宮の満干珠を住吉明神に捧げている。皇后 の神面は古来安産に奇瑞があるといわれ、宮中でも 尊敬され、明治天皇の御降誕の時には宮中に参内し ている。 |
これより後祭の巡行列
24番 北観音山 KITA KANNON YAMA 所在地 中京区新町通六角下ル 「上り観音山」ともいわれ、後祭巡行の先頭を行く、文和二年(1353) 創建であるが町有古文書にきされ、山舞台には楊柳観音像と韋駄天立 像を安置する曳山で、飾屋根を付けたにはテンポウ年(1833)のことで ある。破風下の木彫雲鶴は片岡友輔のさく。天水引は観音唐草と雲龍 図を隔年に使用、下水引は関帝祭の図と伝える人物風景は中島来章 の下絵。胴懸類は17〜18世紀の花文様インド絨毯を用いていたが、 近年、前後懸は19世紀のペルシャ絨毯、胴懸はトルキスタン絨毯に 変えている。二番、三番水引はともに山鹿清華作の毛織錦であったが、 平成18年より「赤地牡丹唐草文様綴織」の二番水引と「金地紅白牡丹 文様唐織」の三番水引(復元新調)に江戸時代の姿に戻している。四隅 の房懸け金具は祇園守。欄縁の唐獅子牡丹等錺金具の精巧さは、こ の山の華麗さを際立たせている。 巡行時に柳の枝を差し出しているのは観音懴法にちなむもの。慶安4年 (1651)在銘の旧観音尊衣裳、退紅色花菱襷文様繻珍裂破大切に保管 されている。 |
25番 橋弁慶山 HASHIBENKEI YAMA 所在地 中京区蛸薬師通室町東入 謡曲「橋弁慶」より取材、弁慶と牛若丸が五条の大橋 で戦う姿を表している。弁慶は鎧姿に大長刀を斜めに構 え、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄でたち片足 を曲げ右手に太刀を持っている。弁慶と牛若丸の人形に は、永禄6年(1563)大仏師康運作の銘がある。 前懸は中国清頃の雲龍波濤文様の綴錦であったが、昭 和58年から新しく富岡鉄斎原画の椿石祭礼図が用いら れている。胴懸は加茂祭礼図綴錦、水引は百子文様の 綴錦、後懸は雲竜文様の刺繍である。 この山は古くからくじとらずである。 |
26番 黒主山 KURONUSHI YAMA 所在地 中京区室町通三条下ル 謡曲「志賀」にちなみ大伴黒主が桜の花をあおぎ眺めている姿を表す。 御神体は寛政元年5月辻又七郎狛之澄作の銘を持つ。山に飾る桜の 造花は粽と同様に戸口に挿すと悪事が入ってこないといわれている。 水引は雲竜文様繻珍、前懸は満暦帝即位の折の御服と伝えられる 古錦を復元した五爪龍文様錦、胴懸は草花胡蝶文様の綴錦。見送は 平成16年に牡丹鳳凰文様が復元新調されている。 別に宝散し額唐子嬉遊図が復元新調されている。人形着用の古衣裳 には、延宝3年在銘の紺地菊唐草文様小袖及び正徳元年在銘の萌 葱絽地牡丹文様色入金襴大口袴があり、江戸時代初期在銘の貴重な ものである。又平成12年後懸の飛龍文様錦入刺繍が新調された。 ***ページの先頭へ*** |
27番 鈴鹿山 SUZUKA YAMA 鈴鹿権現を祀る。伊勢国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた 悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫尊)を、金の烏帽子を かぶり手に大長刀を持つ女人の姿で表している。後の山に は赤熊で象徴した悪鬼の首がおかれている。山に立つ松に は鳥居・松・木立と宝珠を描いた絵馬がつけられるのも珍し く巡行後に盗難除けの護符として授与される。 前懸は平成元年新調、黄砂の道と称した駱駝の図。胴懸 は平成11年新調の桜図綴織と13年新調の紅葉図綴織。 見送は文化13年購入の中国明代の雲竜文様、天啓二年 の年記を持つ紺紙金泥文字、現在は昭和57年新調の染 め彩ハワイの蘭花を用いている。 |
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28番 八幡山 HATIMAN YAMA 所在地 中京区新町通三条下ル 町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請したもので、 常に町会所の庭にお宮を祀っている。山の上の小祠は総 金箔の美麗なもので天明年間の製作といわれる。水引は 今までの金地花鳥仙園唐錦にかわって昭和61年より十 長生図の刺繍が用いられている。「十長生」とは不老長寿 を意味する。前懸は慶寿群仙図で元禄3年に寄進されたも のを昭和62年復元新調したのである。見送は日輪双鳳人 物文様の綴錦と藍地雲竜文様蝦夷錦がある。朱塗り鳥居 の上には左甚五郎作の木彫胡粉彩色の鳩が飾られている。 |
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29番 役行者山 EN NO GYOHJA YAMA 所在地 中京区室町通三条上ル 山の御神体として役行者と一言主神と葛城神の三体を 安置し、この組み合わせは役行者が一言主神を使って葛 城と大峰の間に、橋をかけさせたという伝承を想起させる。 正面の洞に役行者が帽子・掛け絡・経巻・錫杖を持って座 し、葛城神は女体で手に台つきの輪宝を持ち、一言主神は 鬼形で赤熊をかぶり手には斧を持っている。水引は綴錦の 西山勘七作の唐子遊図、前掛は牡丹胡蝶図と雲竜文様と の三枚継ぎ(平成7年復元新調)胴掛は雲龍波濤文様綴錦、 見送は昭和57年から復元した金地唐美人図綴錦が用いら れている。 |
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30番 鯉山 KOI YAMA 所在地 中京区室町通六角上ル 山の上に大きな鯉が跳躍しており、龍門の滝をのぼる鯉 の奔放な勇姿を表している。前面に朱塗鳥居を立てやまの 奥には朱塗の小祠を安置し素盞鳴尊を祀る。その脇から下 る白麻緒は滝に見立てられ、欄縁その他の金具はすべて 波濤文様に統一されている。前懸、胴懸、水引、見送等は 「イーリアス」物語の場面を描いた16世紀にベルギー・ブラ ッセルで製作された一枚の毛綴を裁断して用いたもので、 重要文化財に指定されている。 |
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31番 浄妙山 JOHMYOH YAMA 所在地 中京区六角通烏丸西入 平家物語の宇治川の合戦から取材、自性年宇治川の 合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りを しようとすると一来法師がその頭上を飛び越え、「悪しゅ う候、御免あれ」と前に進み出て先陣を取ってしまったと いう。御神体は一来法師が浄妙の頭上を飛び越える一舜 をとらえ木片の楔で一来法師の人形を支えている。黒漆 塗の橋桁にも数本の矢がささり戦いの凄さを示している。 かっては「悪しゅう候山」とも呼ばれていた。 浄妙坊が着用している黒韋威肩白胴丸は、室町時代の作 で重要文化財に指定されている。 |
32番 南観音山 MINAMI KANNON YAMA 中京区六角通烏丸西入 「下り観音山」ともいわれ、後祭巡行の最後を行く曳山である。華厳経の 説話で、善財童子が順に教えられ南へ南へ53人の聖者を訪ねて菩薩道 修業をした話は、東海道五十三次や指南の語源となるが、28番目の観音 は美しい南海のほとりに住み、あらゆる苦悩から人々を救うことを教えた。 本尊の楊柳観音像は悠然と瞑想する鎌倉時代の坐像であるが、天明の大 火で頭、胸部だけが残り、他は童子像とともに江戸時代の木彫彩色像。 諸病を防ぐといわれて巡行には柳の大枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭 の木彫薬玉をつける。天水引は塩川文麟下絵の「四神の図」で、近年復元 新調された。下水引は「飛天奏楽」。見送は中国明代の雲中青海波文様の 綴錦であったが、昭和63年に栢山又造のに「龍王渡海図」を新調し使用し ている。そのほか17世紀製作の逸品で異无須織といわれる華麗なペルシ ャ金銀絹絨毯の旧前懸や年記のあるもので日本最古(1684)のインド更紗 旧内敷などを保存している。 . |