平成のお伊勢参りウォーキング

第11回 2009/11/12 柿野から札の辻まで

紅葉し始めた山々を眺め、櫛田川に沿って歩く   歩行距離16Km 所要時間4時間40分

集合場所  近鉄奈良駅前
 
 近鉄奈良駅前 
AM08:45 バスにて出発。⇒名阪国道針テラス駐車場AM09:15到着(トイレ休憩20分
 道の駅・飯高駅
AM11:10到着。今回は昼食場所が無いためスタート前に昼食。第11回ウォークスタートPM12:35
 ⇒柿野神社
PM12:40⇒宝積寺PM12:45⇒大石不動院PM13:35⇒津留の渡し・はかり石PM14:50⇒仏足石
 PM15:30⇒伊勢三朗物見の松PM15:55⇒歯痛地蔵PM16:40⇒四疋田の大常夜灯PM16:50
 千鳥ヶ瀬
PM16:55⇒札の辻PM17:00⇒バス駐車場多気町役場PM17:15到着
帰路
 多気町役場
PM17:40出発⇒伊勢自動車道⇒名阪国道・伊賀ドライブインPM19:00(トイレ休憩20分)⇒
 近鉄奈良駅前
PM20:00到着。
 出発時にバスが30分遅延のため予定がが遅れ、又トイレ場所が少なくて女性のトイレ時間に随分時間のロスが出てゴール地点では  すっかり日が落ちて暗くなっていました。


第11回スタート地点柿野中学校跡地 PM12:35
柿野神社  PM12:40
 紀州街道と伊勢本街道とが合する横野にあり、社殿は伊勢
 神宮様式に習った神明造りの立派な社殿。明治42年に
 村内の社殿が合祀され柿野神社に成った。境内には天保
 元年銘の街道沿いに有った3メートルを越す「大神宮常夜灯」
 が移設されている。
宝積寺山門 PM12:45
宝積寺本堂と鐘楼
櫛田川に沿って歩く。中西地区周辺 PM12:48
真言宗・石勝山・金常寺
 大石不動院 PM13:25

 毎年9月1日は八朔といい大法会が営まれます。
 
大石不動院境内にある夫婦滝。
不動院境内の街道に沿った炮烙岩にはムカデランの群落が見られ
国の天然記念物に指定されている。
伊勢本街道下茅原地区周辺を行く旅人達。
津留の渡し跡・はかり岩
 古くから旅人のとって、津留の渡しは宮川の渡しと
ともに渡川の難所の一つであった。渡し場の川の中に
岩があり、水量を測る目安とされ、この「はかり岩」が水没
すると「川とめ」となった(「はかり岩」の頭部は水害で流失)
この渡しも昭和4年4月、川上に津留橋が架けられた為
姿を消した。
PM14:50
松阪市との境界 多気町 PM14:48
街道沿いで見かけた「ヒトヤスミ」描かれた菜園。
 仏足跡碑(鍬形)天保5年(1785) PM15:30
  鍬形は丹生神社への山越えの近道となってい左丹生大師道」
  の道標がたっている。櫛田川の清流に沿う街道の不動院の前に
  地元の人が「足神さん」と呼んでいるたかさ1・5m程の自然石に
  刻まれた仏足石碑が立っていて、その下に「経に此相を見れば
 千劫の重罪を滅すと言えり」裏には「天保五年乙巳春 天阿弥陀佛」
 と刻まれている。
  仏足跡とは釈迦の足跡のことで、仏教が広まった頃
  仏像の代わりにこれを拝んだ。街道を旅した人達はここを
  通るとき、この「足神さん」にわらじを奉納して旅の安全を
  祈願した。里人は今も足の病に御利益があるとしてこの仏足石に
  わらじをかけている。
  碑は櫛田川対岸の広瀬・永正寺の名僧天阿人によって建て
  られた。
伊勢三朗の物見の松(現在は5代目の松である) PM15:55
津田公民館 (トイレ休憩場所) PM16:00
歯痛地蔵 PM16:40
  この地蔵堂の中には、歯痛に効能があるという石地蔵が
 祀られている。(高さ80cm)これは道標地蔵で「左円生山
 近長谷寺三十町」と掘ってある。
 ここを南に曲がれば長谷の近長谷寺へ達した。
 この地には参宮客の為の茶屋や馬つなぎ場があったと
 伝えられる。
四疋田の大常夜灯 弘化二年(1845) PM16:50
 この常夜灯は高さ5.5m、この街道では
 最大級のものである。弘化二年銘の両宮常夜灯で、
 裏に「石工 根来惣右衛門」とある。この他にも同名の
 石工の常夜灯が本街道には多く見受けられます。
  これらは江戸時代の終わり頃、紀州藩田丸領四疋田組
 大庄屋で儒家、国学者であった三谷蒼山(1779〜1841)が
 亡くなる時、後世まで献灯するようにと遺言したことによって、
 葬儀費用を割いて弘化二年(1845)に建てられた。
千鳥ヶ瀬・西行歌碑 PM16:55
 南から北に流れる太古川、その右岸に街道を遮るほどの
椋の大樹が繁っていて、それに藤の蔓が巻きついている。
その根元に塞神が祀られている。その昔、西行法師が伊勢
参宮の途中、この付近に滞留されたとの伝説が有り、その
ときこの辺りで千鳥の鳴く声を聞き歌を呼んだと伝えられて
いる。
歌碑は明治の末に建てられ、漢詩人矢土錦山によって万葉
仮名で書かれている。碑の傍らに、寛政四年(1792)銘の
自然石の燈籠もある。
相可の道標 PM17:00
 高さ1.5mの立派な道標には、正面に「伊勢本街道」、
東面に「すくならはせみち」、西面は「右くまのみち」、背面
には「文久三癸亥十一月建之」(1863)と深く彫られている。
書は四疋田組大庄屋・三谷蒼山と伝えられる。
もう一基の道標は正面に「(左差しの絵)さんぐうみち」、
右側に「右まつさかみち」後に「左くまのみち」とある。
札の辻 PM17:02
 熊野街道と伊勢本街道が札場の辻(踊場)で交叉する
名邑で、街道筋の建物はその殆どが伊勢風の妻入造りと
なっている。
本日の昼弁当