平成のお伊勢参りウォーキング
第12回 2009/12/10 札の辻から度会橋まで
長閑な山村の道から田丸城跡を訪ねながら 歩行距離15Km 所要時間4時間20分
集合場所 近鉄奈良駅前 AM8:15 集合 近鉄奈良駅前 AM08:30バスにて出発。⇒名阪国道・上野ドライブインAM09:15到着(トイレ休憩20分) ⇒伊勢自動車道⇒三重県多気町役場駐車場AM10:15到着。今回も昼食場所が無いためスタート前に昼食。 第12回ウォークスタートAM11:50⇒分水社PM12:40⇒本家金粒丸PM12:45⇒第1リタイアポイントPM12:55 ⇒玉城町中央公民館PM14:00(第2リタイアポイント及びトイレ休憩場所)⇒田丸神社PM4:25⇒田丸城跡PM14:30 ⇒度会橋西詰PM16:00⇒度会橋東詰PM16:05⇒第12回ゴール地点・度会橋東詰付近に到着PM16:10 ゴール地点よりシャトルにてバス駐車場、伊勢志摩土産センター(王将)へ 帰路 土産物センター(王将)PM17:00出発⇒伊勢自動車道⇒名阪国道・上野ドライブインPM18:15(トイレ休憩25分) ⇒近鉄奈良駅前PM19:30到着。 |
第12回スタート地点多気町役場駐車場 AM11:40 | |
水分社(みくまりの社) PM12:15 ここには水分神社と山の神が祀られている。以前はここに 清水が湧き出ていて、茶屋で休む旅人の喉を潤した。水分社 は小さいながらも神明造り、鳥居も伊勢式である。 土地の人達は「しょうずんさん」と呼んで崇めている。 |
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西池上地区周辺を行く旅人達 | |
本家金粒丸製薬所の古い看板。PM12:30 | |
伊勢本街道筋に立つ常夜灯。 | |
みかん畑を眺めながら・・・ | |
土羽地区周辺に立っている道標。 | |
道端で咲いていたリンドウの花が疲れを癒してくれまました。 | |
伏拝坂峠 PM13:20 「石灯籠」所在跡 昔伊勢参りの旅人がここまで来て、お伊勢さんまでの距離を 訪ねたところ、「三里山道、五里畷」と聞き、これから先の難儀 を思い、参宮するのを諦めて、東の空を伏し拝んで残念そうに 帰ったと言う伝説がある場所。 峠の上に石灯籠の一部が残り「雨宮遥拝所献燈 ふしお可巳坂 文政十年」の文字がある。 |
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土羽地区周辺の田園風景を眺めながら行く旅人達。 PM13:30 |
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正念僧・人柱供養碑塚 PM13:45 230年前に伊勢本街道を「正念」と言う老僧が歩いており、 書き写した経文を全国六十六ヵ所の霊場に奉納しようとして いた。上田辺羽根まで来たとき、病となり、農家に宿を求めた が、重い病にかかり長期逗留の身となった。 死期を悟った「正念」は街道を往来する旅人の安全を祈って 人柱に立ったと言われている。 村人はこれを哀れみ供養のために、その上に塚を築き、 石段をつけて碑を建てたと伝えられている。 |
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田丸神社 PM14:25 南から熊野道(紀州街道)、北から長谷道(伊勢本街道)が 合する交通の要地で有った田丸。この地を押さえるため北畠 親房・顕信父子も田丸城に拠った。興国三年足利方に攻め られ北畠氏の本拠は多気に移った。明治41年、村中の氏社 を合祀して田丸神社となった。参道に天保五年銘の雨宮常 夜燈がある。朝日新聞を興した村山龍平記念館も有ります。 |
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田丸神社参道に建つ雨宮常夜燈。 | |
田丸城・富士見門(長屋門) | |
田丸城跡 PM14:30 田丸城は、南北朝動乱期の延元元年(1336)、後醍醐天皇 を吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が、愛洲氏や度会氏 などの援助を得てこの玉丸山に城を築いて南北方の拠点と したことが始まりとされる。 室町時代には、伊勢国司となり一志郡美杉村の多気に館を 構えた北畠氏の支城として伊勢志摩支配の拠点となった。 天正3年(1575)、織田信長の次男で北畠氏を継いだ 織田信雄が、玉丸城に大改造を加え、本丸・二の丸・北の丸を 設け、本丸には三層の天守閣を建て田丸城の誕生となった。 天正八年には、天守閣は炎上した。 江戸時代には紀州藩主徳川頼宣の家老久野宗成が城主と なり、久野家は代々城代をつとめた。しろは、明治二年(1869)に廃城となり、同4年には場内の建物は取り払われた。昭和3年 (1928)、国有林となっていたこの城地の払い下げに際し、 村山龍平の寄付により町有となり、その後残りの城地も町有化 し、町民に開放された。 |
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田丸城天守跡 PM14:35 | |
天守跡よりの眺望。 | |
度会橋上からの宮川の眺望。 | |
度会橋西橋詰。 PM16:00 川端 いよいよ伊勢に入る宮川の渡しです。別名「柳の渡し」ともいい 、明和五年の伊勢道中案内には「川はた 柳ともいう。宮川渡し ぜにいらず、川ばたにて子ども出て参宮人の代こりをとる一人前 一文づつ」現在は度会橋と成「渡し」は存在しない。 宮川堤には明治・大正・昭和と政界に出て活躍し、憲政の神様 とうたわれた尾崎咢堂記念館が有ります。 |
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楽しみにしている本日の昼のお弁当。(一富士製) |