平成のお伊勢参りウォーキング

第4回 2009/04/02  猿沢池から五智堂

格子の奈良町の町並みを抜けて天理市内へ   歩行距離16Km 所要時間 4時間05分

集合場所  近鉄奈良駅前 AM9:15 AM9:20 バスにて出発。AM9:25大仏前駐車場到着。AM10:20スタート地点大仏前駐車場出発。
        →猿沢池
AM10:35→ならまち元興寺付近AM10:45→帯解寺AM11:25→楢神社PM12:25 昼食休憩 PM13:00出発
        →天理駅前
PM13:35トイレ休憩→市座神社PM14:00→五智堂PM15:05→ゴール地点黒塚古墳駐車場到着PM15:15

帰路    ゴール地点黒塚古墳駐車場出発 PM16:05→国道169号→奈良市内→近鉄奈良駅前到着 PM16:35

スタート地点大仏前駐車場。


         第4回スタート AM10:20
世界遺産 東大寺の石碑。

      

大華厳寺(大仏殿)南大門。
氷室神社とシダレ桜。
氷室神社とシダレ桜。
奈良国立博物館(新館)。
旧奈良物産展示場。
春日大社参道を行く旅人達。
春日大社一の鳥居をくぐり奈良上街道に向う旅人達。AM10:30
興福寺南円堂を眺めながら。
猿沢の池と興福寺五重塔。 AM10:35
元興寺周辺奈良町界隈の家並み。
元興寺周辺奈良町界隈の家並み。
元興寺周辺奈良町界隈の家並み。
奈良町界隈にある漢方堂。
吉田蚊帳店
現在国産の蚊帳は90%以上この店で作られています。
蚊帳の布地を使った色々なお土産品が有ります。
ならまち格子のある家。
ならまち工房。
帯解寺山門。  AM11:25
重要文化財 帯解寺本堂。
奈良上街道の両側には相前後して二つの「帯解寺」がある。
一つは華厳宗・子安山地蔵院、寺伝では染殿(文徳天皇皇后)が
当寺に祈願をかけ清和天皇を安産したと言う安産寺で重文の本尊は
座高二メートルに近い木彫半跏像の地蔵菩薩(鎌倉時代)。
重要文化財 帯解寺本堂

美智子皇后。雅子皇太子妃。紀子秋篠宮妃。は帯解寺の
腹帯をお使いに成られました。
臨済宗・宝寿山龍象資聖禅寺(龍象寺)。

本尊の木造地蔵菩薩坐像は平安時代の作で帯解寺の奥の院として
安産祈願を受けています。 
楢神社。
御祭神は吉備津彦命で子授けの社として広く信仰されている。
境内には第八代市川団十郎の寄進した実増井の井筒や
街道に面して銅製鳥居や大神宮常夜灯がある。

昼食休憩場所 
PM12:25。 出発 PM13:00
奈良上街道筋にある
廃藩置県の名残の「大阪府奈良警察署檪本分署跡」の建物。
天理駅前。
トイレ休憩 
PM13:35
天理市丹波市町周辺の奈良上街道の家並み。
天理市丹波市町界隈の奈良上街道古来より栄えた「市」の跡として
保存されている現在の社前の家並み。
市座神社。 PM14:00
天理市の旧地名は丹波市村で、現在は天理教の門前町として大きく
発展している。
そんな中で旧丹波市村の「市」の神として古くから信仰を集めている
市座神社の御祭神は事代主命で、境内には「天保元年大神宮」銘の
石灯篭や「丹波市村道路元標」等の石柱がある。
奈良上街道筋に面して建っている春日神社。
芭蕉の句碑と案内板。

草臥れて 宿かる比や 藤の花



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奈良上街道筋に面して建っている岡地蔵。
馬口山古墳。
奈良上街道筋にある大和大明神日本最古の神社。
大和神社(おおやまとじんじゃ)の鳥居。

広大な神苑の森に囲まれた旧官幣大社の大和神社は、延喜式では
大和国山辺郡の筆頭に記載された名神大社で、倭国魂大神・
八代戈大神・御年大神の三座を祭祀し、四月一日に古式豊かな
「ちゃんちゃん祭り」が行われる。春日おん祭りと並ぶ大和の二大祭り
である。境内の祖霊社には太平洋戦争で沈没した戦艦大和と戦死者
3721柱の
御御魂を祀っている。

社は300m奥にある。   PM14:50
大和神社(おおやまとじんじゃ)の説明板。


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矢矧塚古墳.。
前方後円墳 全長102m 高さ4m



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奈良上街道筋に面して建っている太市観音地蔵。
長岳寺五智堂。(重要文化財)   PM15:05
長岳寺五智堂の説明板。

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傘塔に掲げられた梵字額。
柳本公園内にある史跡黒塚古墳。 PM15:15
古墳の頂上に作られた古墳内のタイル画。
天理市立黒塚古墳展示館
卑弥呼の里
史跡 黒塚古墳
復元 竪穴式石室と三角縁神獣鏡

展示館内に展示されている古墳の模型。
竪穴式石室は、後円部の中央に前方後円墳の主軸に直交して
作られました。全長約8,3mの長大な規模で、川原石と板石を
用いた合掌式の特殊な石室であることがわかりました。
石室中央には長さ6m、直径1m以上のクワの巨木をくり抜いた
木棺がしようされました。現在は、木棺は腐り粘土の棺台が
残っています。
史跡黒塚古墳。
黒塚古墳は古墳時代前期(三世紀後半から四世紀)の古墳と
推定され、古墳の規模は現状で全長132mの前方後円墳です。
現在は柳本公園の一画に有り周辺は池に囲まれていますが、
古墳が作られた当初の姿をほぼ良好にとどめています。
平成9,10年の2年間をかけて調査が行われました。そして、
後円部では長大な竪穴式石室の存在が明らかになり、副葬品も
三角縁神獣鏡を中心として多数出土しました。

三角縁神獣鏡
黒塚古墳からは33面の三角縁神獣鏡が出土しました。この形式の
鏡は神獣を配し周縁が山形に鋭く尖る形をしているためにこのように
呼ばれています。鏡は直径平均22cm、重さ1kgにも成ります。
黒塚古墳から出土した三角縁神獣鏡は、初期ヤマト政権のあり方や
邪馬台国の所在地論争とも無関係ではなく、これkらの解明が
待たれます。
第4回  お昼の弁当。