語り部と歩く! 世界遺産・熊野古道ウォーク (中辺路) |
紀伊山地の霊場と参詣道 神々の大地熊野を歩く 神々の住む聖地であり、再生の地とされてきた、熊野への巡礼路「熊野古道」。古くから九十九王子のある熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社。那智代謝)への信仰の道として、かっては「蟻の熊野詣」と言われる程、多くの参拝者が往来しました。 今回、「中辺路」を、地元の語り部ガイドと一緒に歩き、熊野に息づく歴史や文化・自然を肌で感じながら、癒しの旅に出かけました。 |
|
2012年5月26日(土) | |
集合:近鉄奈良駅噴水前 AM7:30 出発:奈良観光バスにてAM7:35===阪奈道===宝来IC===第2阪奈道路===近畿自動車道松原JC経由===阪和自動車道===岸和田SA(WC休憩 AM8:35〜8:50)===阪和自動車道(田辺IC終点)===一般道===中田食品(梅干し工場の見学AM10:30〜11:00)===第2回スタート地点稲葉根王子到着(AM11:15) 第2回 熊野古道ウォーク稲葉根王子スタート(AM11:25)・・・一ノ瀬王子(AM12:05)・・・花折れ地蔵(PM12:40)・・・鮎川王子(PM13:05)・・・住吉神社(PM13:15到着 昼食後PM13:55出発)…御所平(PM14:10)・・・・藤原定家の歌碑(PM14:20)…北部橋(PM15:25)・・・清姫の墓(PM15:40)・・・滝尻王子(PM16:25)ゴール到着 帰路:滝尻王子駐車場(PM16:55)出発===一般道===阪和自動車道===岸和田SA(PM18:45〜19:00)===松原JC===近畿自動車道===第二阪奈自動車道===阪奈道===近鉄奈良駅前(PM20:10)到着 |
|
第2回 稲葉根王子〜滝尻王子 歩行距離12km | |
今回は、五躰王子の一つ稲葉根王子から滝尻王子までの12.3km。途中、一ノ瀬王子・鮎川王子とめぐり現世の不浄を清めると考えられた冨田川の清らかな流れに沿って緩やかに上るコースで、五躰王子の一つ滝尻王子がゴール。 | |
スタート地点稲葉根王子 | スタート前の入念なストレッチ |
今回の語り部ガイドさんは、元気なお年寄り片岡さん(75歳)と少しお若い関さんのご両人が二班に分かれて案内していただく。 | |
語り部ガイド関さんの稲葉根王子の説明を聞き | 語り部ガイド片岡さんを先頭にスタート AM11:25 |
冨田川の川底5m下にうずまっていた楠 | 一ノ瀬橋を渡り |
一ノ瀬王子まで後1km | 滝松山城址眺望 |
不浄を清める聖なる川冨田川 | 冨田川に流れ込む汗川の河口 |
一ノ瀬王子跡に到着 | 一ノ瀬王子跡石標と社 PM12:05 |
一ノ瀬王子 一ノ瀬王子の名前は、もともとは岩田川渡りの「一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ瀬」からきたであろう地名で、旧村名の「市ノ瀬」から市ノ瀬王子と記されているのもある。 薮中に鎮座する王子 昔は清水王子とされていましたが寛分年間では「清水王子の跡を藩の役人が検分に訪れ、古老の記憶で藪の中に忘れられたままあったこの王子の跡がわかり寛文「1661」に王子権現宮として再建されたという。」 |
|
一ノ瀬王子社 | |
南高梅の畑 | 加茂橋を渡り花折れ地蔵に向かう |
下鮎川の花折れ地蔵 下鮎川の花折地蔵は、「願い事が叶う、霊験あらたかなお地蔵さま」として多くの皆さんに愛されています。地域の皆さんが、毎日、清掃等をされており、いつもきれいな花折地蔵さんです。また、花折地蔵という名前は、「その昔、現在の花折地蔵付近で、熊野詣の途中に亡くなられた方がおり、皆さんが花を折って供えていた。」というのが由来だそうです。 |
|
片岡さんから花折れ地蔵の伝説を聞きながら | 下鮎川の花折れ地蔵 PM12:40 |
千人供養塔 熊野詣の道筋にあり遍路施宿(善根宿)として提供、千人の方をお世話できたので明治11年に記念として建立された。 |
|
千人供養塔の伝説を片岡さんから聞きながら PM12:55 | 千人供養塔 |
鮎川王子 建仁元年(1201年)の藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』には、10月13日の記事に「これより歩いて岩田川(富田川)を徒渉し、まず一ノ瀬王子に参り、徒渉し次にアイカ王子に参る。川の間は紅葉の浅深の影が波に映じて、風景が素晴らしい。〔川の深い所は股まで及ぶが、袴をかかげないのとのこと〕」とあります。この「アイカ王子」が鮎川王子でしょう。 「鮎川王子」と記されているのは、承元4年(1210年)の藤原頼資の『修明門院熊野御幸記』。 鮎川王子は江戸時代には社殿もあり、王子社と呼ばれていましたが、明治7年に富田川(石田川、岩田川とも)対岸の住吉神社に合祀されてしまいます。跡地は田となり、王子田と呼ばれ、その後、その田も道路改修のために消失してしまいました。 |
|
大塔宮剣神社碑と立ち並ぶ鮎川王子社跡 PM13:05 | |
熊野古道案内板 | 鮎川新橋を渡り住吉神社へ |
住吉神社(俗称お劔さん) 和歌山県田辺市の旧大塔村、大塔行政局のある下平という地区の山裾にある神社。 明治時代末に近くにあった劔神社(つるぎじんじゃ)がこの神社合祀されたため、それ以来、俗にお劔さんと呼ばれるようになりました。 社伝によると宝永年間(1704〜1711年)の摂津の住吉大社から勧請。鮎川村の産土神として崇敬されました。明治初年(1868年)に社名をそれまでの住吉社から住吉神社と改称。 明治7年(1874年)には鮎川王子を合祀。以降、同40年(1907年)まで村内の神社を合祀。 |
|
住吉神社正面参詣道 PM13:15 到着 昼食後 PM13:55 出発 |
左側が住吉神社、右側が劔宮。劔宮(劔神社)のご神体は、大塔宮護良親王より拝領された剣。 |
合祀された鮎川王子社 | 若宮社の右横にある「おんば石」 |
境内奥山にある「おがだまの樹」 | お昼のお弁当(味三昧謹製) |
御所平 永暦元年(1160)後白河上皇は10月23日から一か月間に及ぶ旅が熊野御幸が初めであったといわれている。嘉応元年(1169)法皇となり建久二年(1191)まで30回余御幸されている。御所平は熊野詣の道筋にあたり後白河法皇の頓宮(仮の御殿)があった場所といわれている。 下を流れる岩田川(富田川)の瀬を御所の瀬と呼んでいる。 |
|
お薬師さん(薬師如来) 昔から耳の病気になると穴の開いた小石を供えおまいりする。 |
|
お薬師さんの伝説を聞きながら PM14:12 | お薬師さんをお祀りした祠 |
藤原定家の歌碑 建仁元年(1201)後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した歌人、藤原定家の「後鳥羽院熊野御幸記」がありますが、10月五日に京都を出発し、先陣として各宿所に入りながら12日目には「御所は美麗にして河に臨み、深淵あり」といゆ田辺御所に入り、開けて13日天明に御所にまいり、秋津王子、万呂王子、三栖王子、さらに八上王子、そして昼には昼養御所である、稲葉根宿所で休息し石田川(富田川)で水垢離をしながら一ノ瀬王子へ参り、再び石田川を渡って鮎川王子を拝し13日の宿所である滝尻王子へと歩みを進めています。 鮎川王子から滝尻王子までの道程を「河の間の紅葉の深浅の影、波に映じ、景気殊勝なり、次に崔嵬の嶮岨を昇り滝尻宿所に入る」と記され、夜の歌会では河辺の様子を「そめし秋を くれぬとたれかいはた河 またなみこゆる 山姫のそて」と詠んでいる。 今は、河辺まで植林されたり、道路も施設され様子が一変しておりますが、古道を辿って行くうちに所々往時の面影を残す岩場や道の敷石された場所が目にできる。 田辺から滝尻までの行程を一日で歩くのは大変だっただろうが、川を渡ったり王子で休息したり、河辺の景色に見とれながらの旅も又それなりに趣があったでしょう。 |
|
、 そめし秋を くれぬとたれかいはた河 またなみこゆる 山姫のそて 藤原定家 |
|
藤原定家の歌碑 PM14:20 | |
道祖神と庚申塚 陰陽合体の道祖神でさえの神といわれ邪悪なものを遮り路の悪霊を除き、旅人を守り、男女円満、縁結びの神として信仰されている。 庚申塚は青面金剛で病魔や病鬼を払い除くとされ縄で縛ると失物が見つかると信じられている。 |
|
道祖神と庚申塚の伝説を聞きながら PM14:25 | 道祖神と庚申塚 |
冨田川の上流オオウナギが捕獲できる境界点になっている | 冨田川の川辺に沿って歩く |
この辺の古道は23年9月の水害でずいぶん痛んでいる。 | 水害で崩落した古道を補修された木道 |
本日一番の急な登り坂を休み休み登って行く PM14:58 | 道祖神 |
道祖神の祀って或る周りに沢山ミツバチの巣箱が置いてあった | |
日本ミツバチの巣箱 | 巣穴から日本ミツバチが出入りしていた |
熊野古道で出会った草花 たち | |
北都橋を渡り PM15:25 | |
清姫橋の上で語り部さんから安珍と清姫の伝説を聞く | |
道成寺のヒロイン清姫 熊野詣にまつわる物語でもっとも有名であろう物語が安珍清姫の物語ですが、そのヒロイン清姫は、熊野古道「中辺路」が通る現和歌山県田辺市中辺路町の真砂(まなご)という集落が出身地だとされます。 真砂の富田川のほとり、茅葺きのお休み処「清姫茶屋」の近くに清姫の墓と伝わる石塔が残されていて、石塔の横には「清姫之墓」と刻まれた石碑があり、それには「煩悩の焔も消えて今ここに眠りまします清姫の魂」とのご詠歌が刻まれています。 |
|
清姫の墓所入り口 PM15:40 | 清姫の墓 |
清姫の木像が安置されている清姫堂 | 清姫が身を投じた川渕 |
「音の居」(OTONOI) 山間に見える木製モニュメントは、スペイン在住の音響彫刻家増田感氏制作によるもので、1997年4月5日、熊野古道音の径創作委員会と地元住民らの手により設置されたものです。 自然の風で音を鳴らすこの音響彫刻は、熊野の持つ神秘性、自然との共生などを表現しているとされており、鳥居をイメージした朱色は、熊野三山の入り口であることを印象づけています。 又ここ真砂は奥州白河から熊野詣にやってきた安珍が将也の娘である清姫に出会った場所でもあり、その悲恋の物語をモチーフに毎年7月、この河川敷でダイナミックなお祭りが開催されています。 増田氏は1980年以降、ミロ美術館、サンタマリア教会などで個展、音響彫刻コンサートを開いており、1990年にはスペインの現代作家20人に、翌1991年にはバルセロナ文化オリンピックに作品が選ばれています。 |
|
増田氏制作の音響彫刻「音の居」 | |
昨年23年9月の集中豪雨の被害地 | |
滝尻地区での山崩れ長さ400m、幅100mはすざましいものでした | 仮国道を歩く |
河川改修と国道復旧工事中 | ゴール地点の標識が見えてきた |
ゴールは目の前だ・・・ | 第2回熊野古道ウォークゴール地点到着 PM16:25 「世界遺産」石標 |
滝尻王子 滝尻王子は、熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高いとして崇敬されてきた「五体王子」のひとつで、熊野の霊域の入り口とされたとても重要な場所でした。 富田川(とんだがわ)と石船川(いしぶりがわ)の合流点にあり、「滝尻」の名は、石船川の急流が富田川に注ぐ滝のような水音からきたといいます。 富田川はかつて岩田川(いわたがわ)と呼ばれ、熊野詣の重要な垢離場(こりば)のひとつでした。 岩田川は熊野古道「中辺路」を歩く道者が初めて出会う熊野の霊域から流れ出ている川であり、熊野詣の道中で最も神聖視された川であったのです。 道者が初めて岩田川に出会う稲葉根(いなばね)王子から熊野の霊域の入り口である滝尻王子まで、道者は十何度と岩田川を徒渉しました。 熊野から流れる清らかな川の流れを徒歩で渡ることで罪業をぬぐいさることができると考えられたのです。 滝尻王子に入る前にも川の流れに身を浄めなければなりませんが、ここでは岩田川(富田川)と石船川の二つの川が合流しています。仁和寺所蔵の熊野縁起には、滝尻で水浴する事は、右河は観音を念じて浴す、左河は薬師を念じて沐す。 とあるそうで、右の川(岩田川)は観音菩薩の補陀落浄土から落ちてくる水であり、左の川(石船川)は薬師如来の浄瑠璃浄土から落ちてくる水であると念じて水浴せよ、と滝尻でとる垢離の心構えを記しています。 岩田川と石船川の清らかな水に心身を清めた後に、道者は滝尻王子の社地に入りました。王子社では、奉幣や経供養、神楽の奉納などがを行われました。後鳥羽上皇の御幸の際には和歌の会も催されました。 |
|
滝尻王子社への鳥居 | 参道から見た滝尻王子社拝殿 |
第2回熊野古道ウォークPM16:25無事熊野古道館前に到着。 PM16:55バス駐車場を出発し奈良へ向かう | |