語り部と歩く! 世界遺産・熊野古道ウォーク (中辺路) |
紀伊山地の霊場と参詣道 神々の大地熊野を歩く 神々の住む聖地であり、再生の地とされてきた、熊野への巡礼路「熊野古道」。古くから九十九王子のある熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社。那智代謝)への信仰の道として、かっては「蟻の熊野詣」と言われる程、多くの参拝者が往来しました。 今回、「中辺路」を、地元の語り部ガイドと一緒に歩き、熊野に息づく歴史や文化・自然を肌で感じながら、癒しの旅に出かけました。 |
|
2012年7月18日(水) | |
集合:近鉄奈良駅噴水前 AM7:30 出発:奈良観光バスにてAM7:30===阪奈道===宝来IC===第2阪奈道路===近畿自動車道松原JC経由===阪和自動車道===紀ノ川SA(WC休憩 AM8:40~9:00)===阪和自動車道(南紀田辺IC終点)===国道(42号線==311号線)===第4回スタート地点バス下車地JA栗栖川前到着(AM10:35)出発(AM10:50)・・・古道外山道・・・高原霧の里休憩所到着(AM11:40)昼食。 第4回 熊野古道ウォーク高原霧の里スタート(PM12:15)・・・大門王子跡(PM13:20)・・・十丈王子(PM14:00)・・・小判地蔵(PM14:25)・・・悪四郎屋敷跡(PM14:35)…上多和茶屋跡(PM15:15)・・・三体月伝説(PM15:35)・・・逢坂峠(PM15:45)・・・大坂本王子跡(PM16:10)・・・牛馬童子ふれあいパーキング(PM16:35)ゴール到着 ゴール到着後昼食。 帰路:牛馬童子ふれあいパーキング(PM17:00)出発===国道(311号線==42号線)===阪和自動車道(南紀田辺IC)===紀ノ川SA(WC休憩PM19:00~19:15)===近畿自動車道松原JC経由===第2阪奈道路===阪奈道===近鉄奈良駅前(PM20:40)到着 |
|
第4回 高原霧の里~牛馬童子ふれあいパーキング 歩行距離 約8km+(他、古道外2km) | |
バス下車場所が、スタート地点の高原霧の里より大きく外れるので約2km上りを経て古道に至る。高原熊野神社のある高原霧の里から大門王子、十丈王子、悪四郎屋敷跡、上多和茶屋跡、大坂本王子と巡る紀州の山並みを実感できる古道らしいルートです。 | |
熊野古道館、語り部さんと合流 | バスを降り、高原霧の里登り口に向かう |
高原霧の里までの上りに備えストレッチ | 高原霧の里を目出しスタート |
高原霧の里休憩所(本日の昼食場所) AM11:40 | 今日の昼弁当 |
第4回スタート地点に集合 | 第4回熊野古道ウォークスタート PM12:15 |
高原地区の家々で軒下で掲げられている提灯 | 熊野古道中辺路標柱8(今日の起点となる) |
地区の外れにある庚申さん PM12:30 | 道端に所々置かれている日本ミツバチの巣箱 |
石畳の道をゆく | 一里塚跡(和歌山から24里を示す) |
炭焼き小屋跡 | 熊野古道中辺路標柱10 |
高原池までの登り坂に差し掛かる | 高原池 |
高原熊野神社、大門王子を示す道標 | 大門王子跡説明板 PM13:20 |
大門王子 享保8年(1723年)に紀州藩がすでに社のなくなっていた王子社に緑泥片岩の碑を建てた。その碑と並んで宝珠と笠が失われた滝尻王子と同じ笠塔婆が建つ。 大門王子には、熊野本宮の鳥居があっただろうといわれている。 |
|
大門王子社 | 古道押印帳に記念のスタンプを押して |
王子社を示す緑泥片岩の碑、宝珠、滝尻王子と同じ笠塔婆 | 鳥居があったと示される礎石 |
大門王子を巡り十丈王子までの下り坂 | 熊野古道中辺路標柱12 |
熊野古道中辺路標柱13 | |
旧牛車道 | 杉林の中に土を盛られて作られた古道 |
十丈王子跡説明板 PM14:00 | 十丈王子石柱 |
十丈王子 重點王子とも言われている。十条峠にあり、江戸時代には付近に数軒の茶屋があった。明治末期まで村社として祀られていたが、他の神社に合祀され廃社となった。 |
|
熊野古道押印帳に十丈王子のスタンプを押して | 十丈王子跡の広場で一休み |
熊野古道中辺路標柱14 | 小判地蔵 PM14:25 |
小判地蔵 飢えと疲労のために、小判をくわえたまま、ここで倒れたという巡礼を弔って、祀られたもので、地蔵には「道休襌定門」と戒名が彫りつけてあり、豊後国(大分県)有馬郷の人であったことがわかる。伊勢と熊野によって紀三井寺へ向かう途中、嘉永七年(1854)七月十八日に亡くなりその死を哀れんで地蔵を建てたのです。 |
|
熊野古道中辺路標柱15 | 悪四郎屋敷跡の伝説を聞きながら PM14:35 |
悪四郎屋敷跡 十丈の悪四郎は伝説上の有名な人物で、力が強く、頓智にたけていたといわれる。悪四郎の「悪」は 、悪者のことではなく、勇猛で強いというような意味である。江戸時代の「熊野道中記」の一書に十丈の項に「昔十丈四郎と云者住し処なり」とあり、それがここだと見られている。 |
|
悪四郎屋敷跡を後にして | 熊野古道中辺路標柱16 |
一里塚跡(和歌山から26里) | 姫夏椿の大木に英気をもらって |
熊野古道中辺路標柱17 | 上多和茶屋跡 PM15:15 |
上多和茶屋跡 この山上は、上多和と呼び、標高600m。熊野詣が盛んな頃にはここにも茶店があったといわれ、大正期にも人家があって林中には三界万霊塔やお墓もある。また、この山上には陰暦の11月23日の夜になれば、東の空に三体の月が現れるとの伝承があり、ここにあったしめ掛け松のもとに大勢集まり粟や黍の餅を供え、心経をくり、月の出を待ったという。三体月は、「熊野権現垂逩縁起」の伝承の中にもみられる。 田辺市 |
|
熊野古道中辺路標柱18 | 三体月伝説を聞きながら。 PM15:35 |
三体月伝説 熊野三山を巡って野中近露の里に姿を見せた一人の修験者が、里人に「わしは11月23日の月の出たとき、高尾山の頂で神変不可思議の法力をえた。村の衆も毎年その日時に高尾山に登って月の出を拝むとよい。月は三体現れる。」 半信半疑で村の庄屋を中心に若衆達が、陰暦の11月23日の夜、高尾山に登って月の出を待った。やがて、時刻は到来、東伊勢路の方から一体の月が顔を覗かせ、あっという間にその左右に二体の月が出た。三体月の伝説は、上多和、悪四郎山、槇山にもある。 田辺市 |
|
道標 | つづら折れの坂道を下る |
熊野古道中辺路標柱20 | 逢坂峠 PM15:45 |
逢坂峠から大坂本王子に向かう | 坂尻の谷(石屑の坂道)を下って |
大坂本王子跡説明板 PM16:10 | 大坂本王子笠塔婆(新しく作り変えられている) |
大坂本王子 逢坂峠の麓にあり。坂が急峻な為大阪の名がある。 社地が辛うじてみられるが、ここに完全に整った笠塔婆が一基ある。 |
|
押印帳に 大坂本王子のスタンプを | 樹齢2000年以上と言われている杉の切り株 |
ゴール地点まであと少し | イノシシ除けの石垣をを見ながら |
熊野古道中辺路本日の行程最後の標柱23 | 熊野古道案内板(大坂本王子・牛馬童子への) |
第4回熊野古道ウォークPM16:35牛馬童子ふれあいパーキングに到着。 | |
牛馬童子ふれあいパーキング | 牛馬童子道の駅 |
牛馬童子ふれあいパーキングPM17:00出発バスにて帰路に向かう | |