語り部と歩く! 世界遺産・熊野古道ウォーク (中辺路)

紀伊山地の霊場と参詣道  神々の大地熊野を歩く
神々の住む聖地であり、再生の地とされてきた、熊野への巡礼路「熊野古道」。古くから九十九王子のある熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社。那智代謝)への信仰の道として、かっては「蟻の熊野詣」と言われる程、多くの参拝者が往来しました。
今回、「中辺路」を、地元の語り部ガイドと一緒に歩き、熊野に息づく歴史や文化・自然を肌で感じながら、癒しの旅に出かけました。
 2012年11月17日(土)
 
集合:近鉄奈良駅噴水前 AM7:30

出発
:奈良観光バスにてAM7:30===阪奈道===宝来IC===第2阪奈道路===近畿自動車道松原JC経由===阪和自動車道===紀ノ川SA(WC・休憩 AM8:45〜9:00)===阪和自動車道(南紀田辺IC終点)===国道(42号線==311号線)===(古道あるきの里ちかつゆ WC・休憩AM10:45〜11:00)===道の駅本宮(WC休憩AM11:45)===第7回スタート地点発心門王子駐車場到着(PM12:00

第7回 熊野古道ウォーク発心門王子スタート(
PM12:05)・・・水呑王子跡(PM12:40…伏拝王子跡(PM13:30)・・・三軒茶屋跡(PM14:10)・・・ちょっと寄り道展望台(PM14:45)・・・船玉神社(PM16:30)・・・祓所王子跡(PM15:10)・・・熊野本宮大社第7回ゴール到着(PM15:15

帰路大斎原駐車場(PM16:40)出発===国道168号===国道311号線(古道歩きの里「ちかつゆ」(WC/買物休憩PM17:35〜18:50)==国道42号線===阪和自動車道(南紀田辺IC PM18:25)===紀ノ川SA(WC・休憩PM19:25〜19:40)===近畿自動車道松原IC経由===第二阪奈道===近鉄奈良駅前(PM20:55)到着
 
 
  第7回  発心門王子〜熊野本宮大社                         歩行距離 7km
 今回参加者30名、1班は松本さん、2班は安井さん両名の語り部さんに15名、15名の2班に分かれてガイドをしていただく、スタートして間もなく発心門休憩所前の広場でストレッチを行い第7回熊野古道ウォークを再スタートしました。熊野本宮大社に着いてから正式参拝があり時間が遅くなるので、今回も昼食時間の無駄を省くためバス走行中に車中にて早め(AM11:00)の昼食をとる。
 
行き帰りにWC休憩で立ち寄る熊野古道の里ちかつゆ 行き帰りにWC休憩で立ち寄る熊野古道の里ちかつゆ
行き帰りにWC休憩で立ち寄る熊野古道の里ちかつゆ
本日のお弁当 (ちかつゆ謹製)   紀州の恵み 紀州牛肉のすき焼き弁当 本日のお弁当 (ちかつゆ謹製)   紀州の恵み 紀州牛肉のすき焼き弁当
本日のお弁当 (ちかつゆ謹製)   紀州の恵み 紀州牛肉のすき焼き弁当
スタート前の準備と最終のWC休憩場所 道の駅ほんぐう スタート前の準備と最終のWC休憩場所 道の駅ほんぐう
スタート前の準備と最終のWCに立ち寄った場所 道の駅ほんぐう
発心門王子駐車場に到着 紅葉が色づき始めていた発心門王子前
発心門王子駐車場に到着 紅葉が色づき始めていた発心門王子前
 
 発心門王子
 発心門と言う語は山岳信仰における四門修行に由来する。四門修行においては、山上の聖地に至る間に発心・修行・等覚・妙覚の4つの門を設け、それらを通り抜けることによって悟りが開かれると説かれた。このとき、発心とは発菩提心、すなわち仏道に入り、修行への志を固めることを意味する。すなわち、発心門とは聖域への入り口を意味しているのである。
 天仁2年(1109年)の藤原宗忠の参詣記は、ここに大鳥居があり、参詣の人々はその前で祓いをして鳥居をくぐったと伝えている。発心門とは本来は字のごとく楼門であるが、ここでは鳥居であり、そのそばにあったことから発心門王子の名が与えられた。
発心門王子前にある熊野古道世界遺産表示石碑 発心門王子の鳥居
発心門王子前にある熊野古道世界遺産表示石碑 発心門王子の鳥居
発心門王子社前で語り部から説明を聞く 藤原定家の歌碑
発心門王子社前で語り部から説明を聞く 藤原定家の歌碑
熊野古道道標62 発心門休憩社前でストレッチ
熊野古道中辺路道標62 発心門休憩社前でストレッチ
←発心門王子・水呑王子→を示す道標 紀伊山地の霊場と参詣道の案内板の説明を語り部さんから聞く
←発心門王子・水呑王子→を示す道標 紀伊山地の霊場と参詣道の案内板の説明を語り部さんから聞く
傘を差したり雨具を着ての雨の中の古道歩き お願い地蔵
傘を差したり雨具を着ての雨の中の古道歩き お願い地蔵
雨に煙る山並み 熊野古道中辺路道標63
雨に煙る山並み 熊野古道中辺路道標63
道端でユーモラスな手作り人形が歓迎してくれました。 雨中行進
道端でユーモラスな手作り人形が歓迎してくれました。 雨中行進
道端の木彫りアートの展示小屋 熊野古道中辺路道標64
道端の木彫りアートの展示小屋 熊野古道中辺路道標64
雨はやむことなく降り続く アサマリンドウ
雨はやむことなく降り続く アサマリンドウ
熊野古道中辺路道標65と水呑王子スタンプ押印所 水呑王子と地蔵像
熊野古道中辺路道標65と水呑王子スタンプ押印所 水呑王子と地蔵像
水呑王子
水呑王子


 この王子は碑銘のように水呑ではなかったようで、正中3年(1326)の仁和寺蔵熊野縁起・文明5年(1473)の九十九王子記にも内水飲王子と呼ばれている。江戸時代の初め頃から水呑になってしまったようだ。
 この王子は、分校の改築でも旧境内の中を移動している。その分校は今は廃校になっている。
水呑王子  PM12:40
廃校になった分校 伏拝の集落の手前にある「道休禅門地蔵」
廃校になった三里小学校三越分校  伏拝の集落の手前にある「道休禅門地蔵」
伏拝王子へ向かう手前にある集落 伏拝王子へ向かう手前にある集落
伏拝王子へ向かう手前にある集落
伏拝王子
伏拝王子

 中辺路ルートを歩いてくると、初めて目的地である熊野本宮大社が直視できる所。その喜びのあまり伏し拝んだことが「伏拝」という地名の由来。
伏拝王子
平安時代の女流歌人、和泉式部が伏して拝んだという
紫式部の言い伝え

 和泉式部が熊野詣で伏拝に差し掛かったとき、にわかに月の障りとなったため、参拝が出来ないと思い歌を読みました。
「晴れやらぬ 身のうき雲のたなびきて 月のさはりとなるぞ かなしき」
その夜、熊野権現が夢に現れ、
「もとよりも 塵にまじはる神なれば 月の障りも なにかくるしき」
とお告げがあり、式部は参拝することができた。
この言い伝えは、一遍上人の聖たちが、熊野権現は「信・不信を問わず、貴賎を問わず、女人の不浄を嫌わない」ということを和泉式部を題材に物語としたものである。

和泉式部が伏して拝んだという言い伝えがあり、和泉式部の供養塔といわれる。  
 
高台にある伏拝王子からは、谷の間に熊野本宮大社旧社地・大斎原が望めますが、天候が悪いと靄や雲がかかりみえません。 伏拝王子前にある休憩所
伏拝王子からは、天候が良い時は谷の間に熊野本宮大社旧社地・大斎原が望めます。 伏拝王子前にある休憩所
熊野古道中辺路道標69 伏拝王子から緩やかな下り道
熊野古道中辺路道標69 伏拝王子から緩やかな下り道
三軒茶屋跡手前林道の上に架かる橋 三軒茶屋跡
三軒茶屋跡手前林道の上に架かる橋 三軒茶屋跡
熊野古道小辺路との合流点を示す石標 関所跡の説明をする語り部さん
熊野古道小辺路との合流点を示す石標 関所跡の説明をする語り部さん
 
途中、「ちょっとよりみち展望台」があります。古道から少しそれて、高台に上っていきます。少しシンドイですが、展望台からは大斎原と大鳥居が望めます。
眼下に熊野川が見えます。 大斎原と大鳥居が望めます
眼下に熊野川が見えます。 大斎原と大鳥居が望めます
雨の為カメラの調子が悪くなってきてシャッターが下りなくなってきた。

地道の古道を進むと、ほどなく民家が建つ団地に出てきます。住宅街の中を進むとすぐに現在の熊野本宮大社の鳥居が見えてきますが、そのすぐ手前に「祓殿(はらいど)王子」があります。こんもりとした木々に守られた王子です。

祓所王子
 いまの熊野本宮大社のすぐ裏手にあたる所で、楠やイチイガシの大樹の陰に石造の小祠が祀られている。この王子は大社境内に最も近い王子で、御幸のころは、旅の汚れを清めるための性格が強いようにみられ、、祓所の名がつけられたのではないかと言われている。
                                                               
(カメラ故障で画像なし)
 
第7回 熊野古道ウォークゴール地点 熊野本宮大社 PM15:15到着  
熊野本宮大社拝殿 熊野本宮大社

全国の「熊野神社」の総本山にあたる熊野本宮大社。
三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、聖地熊野本宮大社です。この熊野本宮大社は、平成7年には社殿が国の重要文化財に指定されました。
本殿へと続く158段の石段の両脇には幟がなびき、生い茂る杉木立が悠久の歴史を感じさせます。総門をくぐると檜皮葺の立派な社殿が姿をあらわします。
向かって左手の社殿が夫須美神(ふすみのかみ)・速玉神(はやたまのかみ)の両神。中央は主神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)。そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られており、交通安全、大漁満足、家庭円満、夫婦和合、長寿の神として人々を迎え入れてきました。かつては、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありましたが、明治22年の洪水で多くが流出し、流出を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・再建しました。

 (カメラ故障で画像なし)
熊野本宮大社拝殿  
正式参拝ではグループの代表として玉串の奉納をさせていただいた。

正式参拝後最終ゴール地点旧大社跡地・大斎原へ 
熊野本宮大社 旧社地「大斎原」

神が舞い降りたという大斎原。近年はパワースポットとして多くの人が訪れています。熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に移築しました。かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見えます。その背後のこんもりとした森が大斎原です。熊野本宮大社から徒歩10分ほどなので、ぜひ訪れてみてください。

                                                        (カメラ故障のため画像なし)
 
 発心門王子から熊野本宮大社までの古道は、熊野古道中辺路のクライマックス。
 熊野本宮大社の神域の入口とされる別格の「発心門王子」をスタートし、熊野本宮大社(大斎原)を一望し有難さのあまり平伏し拝んだといわれる「伏拝王子」など、本宮町内の王子社をめぐって「熊野本宮大社」へ。遠く、苦しい道程を経て大社への参拝を果たした、いにしえの参詣者の感動を体験しました。
 
熊野古道中辺路完歩証書 熊野古道中辺路完歩記念バッチ
熊野古道中辺路完歩証書  熊野古道中辺路完歩記念バッチ
   
 熊野古道中辺路約65kmを7回に分けて完歩できました。毎回記録としてカメラを持ち歩いています、最終回が雨の中の古道歩きだった、カメラの故障で最後まで記録を残せなかったのが残念だった。