クロアチア スロベニア、モンテネグロ
ボスニア・ヘルツェゴビナ
 4ヶ国周遊10日間

2010年10月16日(土)〜2010年10月25日(月)

10月20日(水)  5日目
起床・AM6:00      朝食A・M7:00   ホテル出発・AM8:30
世界遺産 アドリア海の真珠ドブロヴニク観光 
 15〜16世紀、東方貿易の中継点として大いに栄えた港町、ドブロヴニク。当方への旅の途中、この街を訪れた人々はその美しさに感動し「アドリア海の真珠」と呼んだ。紺碧のアドリア海には得る白亜の城壁と陽光のようなオレンジ色の屋根のエッセンス。海と人と太陽が創り上げた鮮やかなコントラスト。その色の芸術に導かれ、人々は今もドブロヴニクに足を運ぶ。
眼下に広がるドブロヴニク旧市街  ライトアップされたドブロヴニク旧市街
眼下に広がるドブロヴニク旧市街 ライトアップされたドブロヴニク旧市街
 
ピレ門
 海側からの敵の攻撃を避けるだけでなく、陸側からの攻撃にも備えるためにさまざまな城壁、要塞、砦の構造が取り入れられている。それらの大部分は今なお残存しており、ドブロブニク旧市街の大きなシンボルとなっている。
ピレ門は城壁の中の旧市街への入口。<BR> ピレ門は城壁の中の旧市街への入口。
 ピレ門正面  ピレ門は城壁の中の旧市街への入口。
フランシスコ会修道院
 オノフリオの大噴水の斜め向かいにある14〜15世紀のロマネスク様式の修道院。昔は城壁外部にありましたが、外的から守る為に14世紀に城壁内に移されたそうです。
フランシスコ会修道院と鐘楼
1391年開業のヨーロッパで3番目に古いという薬局が現在も現役で営業しています。 
 フランシスコ修道院内の薬局。修道院の入口手前で1317年開業のヨーロッパで3番目に古いというクロアチア最古の薬局が現在も現役で営業しています。 
 フランシスコ会修道院と鐘楼
ロマネスク様式の回廊と美しいアーチを持つ天蓋と壁に描かれた壁画が素晴しい。 壁画の修復作業中
 ロマネスク様式の回廊と美しいアーチを持つ天蓋と壁に描かれた壁画が素晴しい。  壁画の修復作業中
ロマネスク様式の回廊と美しいアーチを持つ天蓋で囲まれた中庭も見所です。 中庭
 ロマネスク様式の回廊と美しいアーチを持つ天蓋で囲まれた中庭も見所です。  中庭
1667年大地震以前の市街図 中庭
1667年大地震以前の市街図  中庭 
プラツァ通り
 ピレ門の入り口から中心部ルジャ広場まで約200m続くドブロブニクの目抜き通りのプラツァ通り。 通りの両側にはカフェや銀行やお土産屋さんなどが軒を並べていて賑わっています。 ちょっと観光に疲れた方は、プラツァ通りでお土産を探したり、カフェでのんびりお茶することができますよ。
プラツァ通り プラツァ通り
スポンザ宮殿 ルジャ広場と鐘楼 
スポンザ宮殿  ルジャ広場 と鐘楼
旧総督邸 オノフリオ小噴水 
旧総督邸  オノフリオ小噴水 
大聖堂
 大聖堂
 1667年の震災に合い、のちに1713年に再建され現在の建物として完成しました。 ルジャ広場の南端に建つバロック様式の建物で、宝物室には聖ヴラホの遺骨があったり、他にも財宝などがあります。 大理石を使った祭壇が素晴らしいうえに、その奥の「聖母被昇天」は息をのむくらい迫力ある見応えある絵です
大聖堂
オノフリオ大噴水 聖ヴラホ教会
オノフリオ大噴水   聖ヴラホ教会
城壁散歩
「アドリア海の真珠」を外敵から守り続けた1週2kmの城壁を空中散歩。城壁に登り、世界有数の美しさを誇るオレンジ色の街並みが高所に望めば眼下に広がり、地上では出会うことの出来ない様々なドブロヴニク旧市街の表情を垣間見ることが出来る。
城壁散歩前方は旧市街地最高地点に建っているミンタチェタ要塞 旧港と聖イヴァン要塞
旧市街地最高地点に建っているミンタチェタ要塞 旧港と聖イヴァン要塞
要塞の窓からの眺望ポーカル要塞 ルジャ広場の鐘楼、聖ヴラホ教会、大聖堂が見える風景後方に見える島はロクルム島
要塞の窓からの眺望ポーカル要塞 ルジャ広場の鐘楼、聖ヴラホ教会、大聖堂が見える風景
旧市街地最高地点に建つミンチェタ要塞 ミンチェタ要塞周辺
旧市街地最高地点に建つミンチェタ要塞 ミンチェタ要塞周辺
岩の上に建つロヴリィエナッツ要塞 プジェ門周辺から旧港方面の眺望
岩の上に建つロヴリィエナッツ要塞 プジェ門周辺から旧港方面の眺望
沖合いにロクルム島が見える景色 ピレ門周辺とポーカル要塞
 沖合いにロクルム島が見える景色 ピレ門周辺とポーカル要塞
内戦で崩壊された住宅跡や城壁 城壁は崖の上まで巡っている
 内戦で崩壊された住宅跡や城壁 城壁は崖の上まで巡っている
旧港 旧港と聖イヴァン要塞
旧港  旧港と聖イヴァン要塞 
スルジ山に立つ十字架とケーブルカー 昼食を食べたレストラン
スルジ山に立つ十字架とケーブルカー  昼食を食べたレストラン
PM12:00  昼食は旧港前にあるレストランでシーフードリゾットを食べる、久し振りに食べたリゾットはお米の芯も少し残り本格的な美味しいシーフードリゾットを味わうことが出来ました。
昼食後、ドブロヴニクから約100km先のモンテネグロにある世界遺産コルト市内観光に出掛ける。 PM16:00 コトル到着
世界遺産 コトル城壁都市観光
 アドリア海が陸地に入り込み、複雑な入り江となっているモンテネグロのコトル湾。一帯には、中世、港湾都市として栄えた町が点在しています。中でも、湾の最も奥に位置するコトルは、中世の薫りが色濃く残る町です。城壁に囲まれたコトルの町は、古来、様々な国に支配されながらも自治を守って 繁栄してきました。石畳の路地沿いには、12世紀から14世紀ごろに建てられた建物がまるで時が止まっているかのようです。
モンテネグロ国境検問所 陸路で走ると時間が掛かるので時間短縮のためカメナールからカーフェリー対岸に渡りコトルに向う。
モンテネグロ国境検問所 カーフェリー(カメナールから乗船)
アドリア海が入込むコトル湾の最も奥にあるコトル港 モンテネグロの拡大地図(黄色い部分がコトル)
アドリア海が入込むコトル湾の最も奥にあるコトル港 モンテネグロの拡大地図(黄色い部分がコトル)
山裾まで続く城壁 正門横の城壁に張り出されている旧市街地の案内地図
山裾まで続く城壁 旧市街地の案内地図
正門「海の門」とも呼ばれている 正門の上に掲げてある国旗と紋章
正門「海の門」とも呼ばれている 正門の上に掲げてある国旗と紋章
建築当初は穀物倉庫として使用していた長いテラスがある旧市庁舎 武器の広場
長いテラスがある旧市庁舎 武器の広場
ピマ宮殿1667年の大地震のあとに建設されたルネッサンス・バロック様式の建築物
ピマ宮殿  
 
時計台コトルのシンボルとなっている建物である。1602年、アントニオ・グリマニ市長 (主席司祭)が統治する時代に建設が始まった、今も正確のときを刻んでいる。
時計台
コトルのシンボルとなっている建物である。1602年、アントニオ・グリマニ市長 (主席司祭)が統治する時代に建設が始まった、今も正確のときを刻んでいる。
聖ニコラス教会
 教会の建設は1902年に始まり、1909年に完成した。もともと、1540年に建てられたドミニカ会修道院があった場所である。1896年には大火があり、修道院も教会も崩壊したが、1902年、現在の聖ニコラス教会に修復された。
聖ニコラス教会
聖ニコラス教会
聖トリフォンカテドラル 聖ルカ教会 女性達が井戸端会議をしていた公共の水汲み場(井戸)
 聖トリフォンカテドラル 聖ルカ教会 公共の水汲み場(井戸)
カフェテラスがある広場に面した海洋博物館 耐震のために止めてある金具
カフェテラスがある広場に面した海洋博物館 耐震のために止めてある金具
山の頂上まで伸びている城壁 山の中腹にある聖マリア教会
山の頂上まで伸びている城壁 山の中腹にある聖マリア教会
PM17:30 コトル旧市街観光後、同じルートで復路宿泊地ドブロヴニクへ向う。
モンテネグロ国境検問所 クロアチア国境検問所
モンテネグロ国境検問所 クロアチア国境検問所
 前方を走っていたバスがモンテネグロの検問所で時間が30分以上も掛かり前に進めず我がグループのバスは簡単なドライバーのチェックのみでPM18:00仁通過、クロアチアの検問所もドライバーのチェックのみでPM:18:10仁通過、PM18:50スルジ山中腹でドブロヴニク旧市街地の夜景の良く見えるスポットでドライバーが停車してくれ写真撮影を終え、PM19:30ホテルに到着。       夕食はホテルで食事。  
                  本日のバス走行距離約230km         宿泊ホテル:ネプチュン406号室
 参考文献:日系BP企画 「旅名人ブックス」
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