クロアチア | スロベニア、モンテネグロ ボスニア・ヘルツェゴビナ |
4ヶ国周遊10日間 |
2010年10月16日(土)〜2010年10月25日(月)
10月21日(木) 6日目 |
起床AM5:30 朝食AM6:30 ホテル出発AM8:00 |
朝、8時バスに乗り込みボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタルへ向けて出発。途中、クロアチアの国境を越えボスニアに入国ネウムで休憩を取り再度国境を越えクロアチアに再入国、ホテルを出発してから約2時間ばかり走り、10時15分頃再度、国境を越えボスニア・ヘルスゴビナ領に入国陸続きの国は国境でのチェックが有り時間掛かるのが不便さを感じます。11時15分モスタルの街に到着。 バス走行距離約140km |
世界遺産 石橋が印象的な街 モスタル旧市街地観光 ヘルツェゴビナ地方の中心都市。市内をネレトバ川が流れている。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争期には事実上独立したヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の首都であった。内戦以前の1991年の調査では人口は約12万6千人。民族構成は、35%がボシュニャク人、34%がクロアチア人、19%がセルビア人であった。2003年の人口は、10万5千人で、ボシュニャク人47%、クロアチア人48%、セルビア人3.45%であった。 1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言を行うと、モスタルはユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受けた。ボスニア人とクロアチア人は町の防衛を行い、ユーゴスラビア連邦軍やセルビア人勢力は町の周辺から砲撃を行った。後にボスニア人とクロアチア人との間で戦闘が始まると、状況はさらに悲惨なものとなった。モスタルの象徴であったネレトバ川にかかる橋であるスタリ・モストもこの時期に破壊された。1994年に停戦が行われた。1995年から町の復興が開始されたが、敵対していた民族の居住区は分離されることとなった。2006年時点において、 ボシュニャク人とクロアチア人のコミュニティは川を境界にはっきりと分けられている。 |
城壁の街ストン 塩田、牡蠣の養殖も有名 | ボスニア・ヘルツェゴビナ国境検問所(4度目の検問所) |
山頂に建つ崩壊した要塞 | 廃墟となった街の教会の鐘楼 |
モスタルに行く途中のモスクのある小さな街 | ネレトヴァ川の流れ上流がモスタルの街になる |
15年前の内戦の砲撃で崩壊された建物 | 内戦の生々しさが壁に残る砲撃の跡 |
内戦の生々しさが壁に残る砲撃の跡 | 15年前の内戦の砲撃で崩壊された建物 |
土産物屋がならぶ通り | トルコのバザールに似た店が多く並んでいる |
みやげ物店 | 街と街の架け橋小さな石橋 |
レストラン | お土産物の銅版細工をしている職人 |
モスタルの石橋(スタリ・モスト) モスタルの象徴であったスタリ・モストは1999年から元通りに復旧させることとなり、2004年春に工事が完了した。なお、橋とその周辺は2005年にユネスコの世界遺産に登録された。 |
上流から眺めたスタリ・モスト | 2004年春に復旧されたスタリ・モスト |
橋の上は石畳思ったほど幅は広くない | スタリ・モストから見たネレトヴァ川の上流 |
コスキ・メフメド・パシャーモスクの清めの泉(祈りの前に手足を清める場所) | モスク |
マージャル・チトー通りにあるお土産店 | マージャル・チトー通りにある雑貨屋 |
新市街方面 | トルコ風の白い建物 |
PM12:45、モスタル旧市街、観光後レストランにて昼食メニューは肉料理。食後、プリトヴッツェ(クロアチア)へ向う。 |
良く整備された高速道路 | 宿泊ホテル:グラボヴァッチ |
PM15:30国境越えクロアチアに再入国、2度の休憩を取りながら良く整備された高速道路を走りPM20:30宿泊地プリトヴィッツェ(クロアチア)のホテルに到着。 バス走行距離約330km 本日のバス走行距離約470km |
宿泊ホテル:グラボヴァッチ(2連泊) |
参考文献:日系BP企画 「旅名人ブックス」 |
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