クロアチア スロベニア、モンテネグロ
ボスニア・ヘルツェゴビナ
 4ヶ国周遊10日間

2010年10月16日(土)〜2010年10月25日(月)

10月23日(土)  8日目
起床AM6:00   朝食AM:7:00    ホテル出発AM9:00
 最終観光地クロアチアの首都ザグレブへ向う途中、ラストケ村が有り予定に無かったのですがドライバーが好意的にバスを止めてくれ数百mですが珍しい地形の村を見て歩くことが出来た。
ラストケ村
プリトヴィツェから約30km北部に位置するスルニと言う自治体に属し、スルンチツァ川とコラナ川の合流する中州のような地形にある為、村の家々の間を小川となって流れ幾つもの大小様々な滝を生み出している。まるで「滝の中に浮かぶ村」そのものです。観光地としてはあまり知られていないが見る価値は十分有ります.
1962年国の文化歴史遺産に登録。
   
ラストケ村観光後、幹線道路を走り首都ザグレブに向うカルロヴァツ市の幹線道路沿いに内戦時当時の崩壊した建物や戦車、装甲車、高射砲、戦闘機の残骸等が公園化されて展示されていたので、再び観光の予定に無かったが立ち寄り見学。
崩壊して建物の前に展示された高射砲 崩壊した建物の前に展示された戦車、装甲車
崩壊して建物の前に展示された高射砲 崩壊した建物の前に展示された戦車、装甲車
戦闘機の撃墜された残骸 撃墜された戦闘機のエンジン部分の残骸
戦闘機の撃墜された残骸  撃墜された戦闘機のエンジン部分の残骸
砲撃され崩壊した建物 砲弾が落ちた穴
砲撃され崩壊した建物 砲弾が落ちた穴
ユーゴ内戦時の悲惨さがが偲ばれる意味ある展示がされていてクロアチアの人々に忘れさせないメッセージを込めた記念公園にしているのだろうと思われる。
AM11:50 首都ザグレブに到着。 昼食後、ザグレブ市内観光。
ザグレブ市内観光
 クロアチア共和国の首都ザグレブは、人口約80万人、総面積650平方km、長い歴史をもつ中欧の街です。アドリア 海と中欧の間の地理的に重要な位置にあり、昔から文化的、学術的、経済的中心として発展してきた。
 現代のザグレブの街は、その昔、隣あう二つの丘に作られ、長い間繁栄していた中世の小さな2つの 町から発展していきました。ザグレブという名前が、初めて記録に書かれたのは、カプトルに司教座がおかれた1094年のことです。このカプトルの隣の丘に位置していたグラデッツという小さな町は、1242年に自由都市になりました。このカプトル、グラデッツという二つの町は、ともに、要塞と城壁で囲まれていて、今も城壁の遺跡が保存されています。
 ザグレブ新市街は、南のザグレブ中央駅からバン・ヨシップ・イェラチッチ広場(共和国広場)まで碁盤の目状に広がる。創立300年以上の歴史をもつザグレブ大学、主要官庁などのネオクラシック調の建物とユーゴスラビア時代の建物、新しい高層ビルが混然としている。
 共和国広場から坂を上がると大聖堂、サン・マルコ教会がある。そこから北に向かって旧市街が広がる。ここにはゴシック様式とバロック様式の建物が多く、中世の町並みがよく残っている。
 新市街にある建物
クロアチア国立劇場 クロアチア国立劇場
クロアチア国立劇場。 新市街にあるチトー広場に面して建つ。1894年に、ウィーン出身のヘルメルとフェルネルの二人の建築家によって建てられた劇場で、黄一色の外観が太陽の光を反射して美しく華やか。
ザグレブ市民の足として活躍するトラム 美術工芸博物館
ザグレブ市民の足として活躍するトラム 美術工芸博物館。クロアチア内外の装飾美術、工芸品を展示する美術館。収蔵品は、家具、陶磁器、グラス、タペストリーなど多岐に渡っており、様式もゴシックに始まりアールヌーヴォー、アールデコまで幅が広い。
<TBODY><TR><TD width="367">ミマラ博物館</TD> チトー広場
ミマラ博物館。
アンテ・ミマラ氏が寄付したコレクションを展示する博物館。
チトー広場 
聖母被昇天教会
 カプトル地区の丘に建つザグレブのシンボル的存在で高さ105mの尖塔が印象的。元々はロマネスク様式の大聖堂であったが、1242年のモンゴル来襲により破壊された。その後ゴシック様式で再建されるが1881年の地震で損壊し、20世紀初頭にネオゴシック様式の現在見られる姿となった。内部はルネッサンス様式の祭壇やバロック様式の説教壇などが残っている。
高さ105mの2本の尖塔 大聖堂正面 
高さ105mの2本の尖塔  大聖堂正面
正面入り口の上部、聖人像 正面入り口の上部飾られた聖人像
正面入り口の上部 左右に飾られた聖人像
正面入り口の左右に飾られた聖人像 正面入り口の、左右に飾られた聖人像
神聖な雰囲気が 漂う大聖堂の内部
祭壇を彩るステンドグラス 大聖堂祭壇 祭壇を彩るステンドグラス
祭壇を彩るステンドグラス 大聖堂祭壇 祭壇を彩るステンドグラス
カプトル広場と聖マリアのモニメント 大聖堂を囲んでいる要塞と城壁 
カプトル広場と聖マリアのモニメント  大聖堂脇に残っている15世紀当時の城壁と塔
   
ザグレブ市民の胃袋と呼ばれている青果市場ドラツ 大聖堂の尖塔か見えるドラツ市場
ザグレブ市民の胃袋と呼ばれているドラツ(青果市場) 大聖堂の尖塔か見えるドラツ(青果)市場
ラディッチ通り <CENTER><TABLE width="720"><TBODY><TR><TD align="center">ラディッチ通りで見かけた市章が描かれたマンホールの蓋 </TD>
ラディッチ通り  ラディッチ通りで見かけた市章が描かれたマンホールの蓋 
   
東門(通称石の門) 軌跡のイコンが納められている「石の門」
 聖マルコ広場の東には「石の門」と呼ばれる中性の門が残る。中世にグラデッツを囲んでいた城壁には東西南北に四つの門があった。その中で現存する唯一の城門が東門(通称石の門)である。門の中には小さな祠のような礼拝堂が設けられ、たくさんのロウソクが灯されている。
18世紀の半ばに当時木製の門であった東門付近で火災が起きあたり一面焼けつくした。伝承によると大火事が収まった後にまだくすぶる灰の中から聖母子を描いたイコンが拾い出され、そのイコンだけが無傷だったことに人々は驚き大切に保管し、1760年に門が石に造りかえられた時に礼拝堂を設け奇蹟のイコンが納められた。礼拝堂には現在も聖母子のイコンが掲げられ、祈りを捧げている人の姿が引きも絶えない。
   
聖マルコ教会
 グラデッツの中心地にある聖マルコ教会は広場の中心を占めるカラフルな屋根が目を惹く。屋根には国旗に使われている赤、白、青の三色をベースに二つの紋章がデザインさた、ハンガリーの名窯ジョルナイ工房の陶磁器で作られている。左は国旗にも使われている中世クロアチア王国(赤白のチェック)、ダルマチア(三頭のライオン)、スラヴォニア(星とサヴァ川)の紋章を組み合わせたもの。右はザグレブの市章(三つの塔がある城)である。
1880年に造られたも美しいモザイクの屋根が特徴の聖マルコ教会。 1880年に造られたも美しいモザイクの屋根が特徴の聖マルコ教会。
1880年に造られた 美しいモザイク模様の屋根が特徴の聖マルコ教会。
   
聖マルコ広場
聖マルコ広場は小さいながらクロアチアの国家の中枢機関が集まる行政の中心地である。公共機関の建物には黒合いあの国旗がはためいている。聖マルコ教会の正面に向かって右の建物はクロアチアの国会議事堂。左の建物は旧総督邸、現在はクロアチア政府官邸である
<CENTER><TABLE width="720"><TBODY><TR><TD width="359">クロアチア政府官邸、クロアチアは大統領と首相は率いる共和国であり、二人の執務室はここに置かれている。</TD> 国会議事堂(共和国議会)。この議会で1918年にオーストリア=ハンガリー帝国から離脱が決定され、セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国の建国が宣言された、その決定は真っ先にその二階のバルコニーから市民に伝えられた。
クロアチア政府官邸。クロアチアは大統領と首相は率いる共和国であり、二人の執務室はここに置かれている。 国会議事堂(共和国議会)。この議会で1918年にオーストリア=ハンガリー帝国から離脱が決定され、セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国の建国が宣言された、その決定は真っ先にその二階のバルコニーから市民に伝えられた。
クロアチア歴史博物館 聖カタリナ教会。1632年に完成したイエズス会の教会。
クロアチア歴史博物館 聖カタリナ教会。1632年に完成したイエズス会の教会。
ロトルシュチック塔
ロトルシュチック塔
13世紀にグラデッツを囲っていた城壁の南門に立てられた見張り塔で、塔を見上げると窓に大砲がついていて、毎日昼の12時になると、この大砲が煙を上げすさまじい轟音をたてて撃ち鳴らされる。大砲は100年以前から毎日打たれている。
大砲が窓から覗かせているロトルシュチック塔
旧市街地、グラデッツ(ゴルニィ・グラデッツ)ケーブルカーの乗り場周辺からの眺望
聖マルコ教会の尖塔と大聖堂が見えるポイント 中世の建物と現在の建物が
聖マルコ教会の尖塔と大聖堂が見えるポイント 中世の建物と現在の建物が
共和国広場(イェラチツチ広場)
 
中世の街並みが残る丘の上の旧市街と19世紀以来の丘の下の新市街に挟まれているのがイェラチッチ広場。
広場の北に続く坂道を上ると旧市街。この広場も含め南が新市街となる。広場に面した建物は殆ど19世紀のもので、ウィーンを思わせるパステルカラーの優美な建物に囲まれている。カフェやデパート、ショップ、ホテル、観光案内所などが並び、トラムが行き交い、何時も人で賑わっている。広場の中央に建つ青銅の騎馬像は19世紀の軍人で、独立運動家とされるクロアチアの英雄イェラチッチ総督の銅像である。
広場の中央に建つイェラチッチ像 クロアチア独立運動家の名前をとって呼ばれているイェラチッチ広場
広場の中央に建つイェラチッチ像 独立運動家の名前をとって呼ばれているイェラチッチ広場
広場前を行き交うトラム 市内観光にセグウェーツアーも行われている
広場前を行き交うトラム 市内観光にセグウェーツアーも行われている
ザグレブ市内観光後、PM18:50宿泊地(ザグレブ)ホテル到着。    本日のバス走行距離約170km。
夕食はホテルレストランにて魚料理。          宿泊ホテル(ザグレブ):アイ 118号室。
前菜 野菜サラダ 魚のグリル デザー
前菜 野菜サラダ 魚のグリル デザー
参考文献:日系BP企画 「旅名人ブックス」
 
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