悠久のトルコ周遊11日間の旅
2009年10月20日〜2009年10月30日
2日目 10月21日(水) |
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イスタンブール市内観光 今日からトルコ周遊18名の旅の足となってくれるバス。 現地ガイドは日本に留学の経験のある日本語も流暢に 話せられるシオンさん。 |
![]() アヤソフィアと対等するように立つ、イスタンブールを代表する巨大モスク。正式名はスルタンアフメット・ジャミイと言うがモスクの内部を彩る青いイズニック・タイルの美しさで知られ、「ブルー ・モスク」の愛称で呼ばれている。 ● ブルー・モスクの歴史と概要 20歳のスルタン・アフメット1世が1609年に建造を命じ、7年の歳月を経て完成。回廊のある中庭とドーム式礼拝場からなるオスマン様式の壮大なモスクで、スィナンの弟子メフメット・アー仁よって建てられた。世界で唯一、6本あるミナレット(尖塔)と、美しいシルエットが特徴、まるで山の連なりのようなドームも印象的です。 |
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中庭 広さは64mX72mで礼拝堂とほぼ同じで中央には大理石 で作られた泉亭(清めの泉)がある。 |
回廊 回廊は26本の柱が巡り、30もの小ドームが連れなる |
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ミフラーブと説教檀 メッカの方向を示すミフラーブ(写真正面)は白大理石製 で、17世紀のオリジナルのまま。イスラムのカリフ(導師) が金曜日にコーランを読むミンバル(説教台)も当時のもの で、大理石に刻まれた彫刻が素晴しい。 ステンドグラスは複製。 |
スィナン譲りの芸術性が溢れた大ドーム 礼拝堂内部の広さは53mX51m。中央にあるドームは高さ 約43m、直径5mもある4本の大きな柱で支えられている。 更に4つの半円形のドームで囲まれ、オスマン様式独特の 美しい調和を生む。 |
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内部装飾 内部の17世紀のイズニック・タイル装飾は中二階の女性た ちの礼拝の場に残るものが見事で、ユリやチューリップ、カー ネーション、糸杉などの図柄が青や緑、赤で描かれている。外 光を取り入れる窓は260枚あって、西側正面の窓は色鮮やか なステンドグラスになっている。 |
トプカプ宮殿(Topkapi Sarayi)
征服王メフメット2世によって15世紀に建てられたトプカプ宮殿は、約370年の長きに渡って、オスマン・トルコ帝国の歴代スルタンが生活し、政務を執り行った場所である。権力の強大さを物語る財宝の数々や、優雅な生活ぶりを思わせるハレム、宮殿内の別荘キョシュキュ(東屋)など、興味は尽きません。 |
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皇帝の門 かっての宮殿の正門で、1478年に建てられた。当初は門 の上に見張り塔の館が在ったと言われています。 |
第1庭園/アヤ・イリニ教会 皇帝の門を入ると第1庭園で別名「イエニチェリ広場」と 呼ばれています。買って、最強を誇ったオスマン・トル コ軍(イエニチェリ)の出陣式がここで行われた。庭園内 に建つアヤ・イリニ教会は、ビザンチン時代の教会で、 イスタンブール最古のものである。 |
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表敬の門 トプカプ宮殿の中央門で、「バービュス・セーラム」と呼ばれて います。左右に立つ尖り屋根の塔が印象的で、その姿はヨー ロッパの中世の城を思わせるが、この塔はスレイマン大帝が 16世紀に増築したものです。その後にも、ロココ調など数回 にわたって改装されています。この門hを馬に乗ったまま通さ れたのはスルタンだけで、宰相や高官はもちろん、各国大使も ここから歩いて宮殿に入ることになっていました。 |
第2庭園 別名「ディワン(政庁)広場」と呼ばれ、オスマン帝国の政治の 中心となった。 ディワンの塔(監視塔)が印象的です。 |
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ディワン(政庁)の入り口。 |
会議の間 ディワンの塔(監視塔)の下に並ぶ部屋は、毎週火曜日、 朝の礼拝の後に国政会議が開かれた場所で、豪華な衣裳を 身にまとった宰相や高官が集い、討論が行われた。スルタン は会議場の鉄格子がはめられた窓の後で、密かに討論を 傍聴いていたといわれています。この会議は非常に重要で 、会議開催中は監視塔から不審な侵入者がいないか、厳重 に監視したと言われています。 |
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厨房(煙突の修理中) 厨房では、宮殿に働く4,000人分もの食事とスルタン一家の お膳などを用意するため、多い時には800人が働いていたと 言われています。そんな厨房の一部が保存され、巨大な調理 器具なども合わせて、展示されています。 |
聖遺物の間がある庭園 聖遺物の間 宮殿内でも重要な場所の一つで、スルタン・セリム1世が 1517年のエジプト遠征の際に持ち帰ったと言うムハンマド (マホメット)の聖遺物などを収蔵している。特に重要なのは、 ムハンマドの外套で、ムハンマドが異教徒であったアラブの 詩人カアブ・ビン・ズヘルに贈ったものと言われている。その ほかムハンマドの剣や顎鬚などが展示されています。 聖遺物の間の壁はチューリップ柄のイズニック・タイルで 覆われています。 |
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幸福の門 スルタンとその一家の私的スペースである第3庭園に通じる門で、 「バービュス・サーデット(幸福の門)」と呼ばれています。また、 幸福の門には宮殿の護衛隊長の住居と白人宦官の宿舎があっ たため、「白人宦官の門」ともいわれた。メフメット2世の時代から 何度か建て返られ、現在の姿は18世紀、ロココ調に改装された もの。門の前では式典が行われた。 |
バグダードのキョシュキュ テラスの北の端に建つ東屋で、1638年にムラト1世が バグダード征服を記念して建てた物で。、内部を飾るタ イルと象嵌細工が素晴しい。 又、回廊式のテラスは海峡が一望できる絶好の場所で、 イブラヒム 1640年に造った金色の天蓋付きのバルコニー「イフタ ールのポーチ」も有ります。 |
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割礼の間の前広場テラスに続く |
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![]() アフメット3世の泉亭 (Ahmet V Çesmesi) 美しく輝く泉亭 トプカプ宮殿の入口前に建つ1728年建造の泉亭。 5つのドームを持つロココスタイルで、その美しさは 泉亭の中で一番とも言われている。四面に備えられた 蛇口の上方には、美しいカリグラフィーが施されている。 |
昼食は海鮮レストランで魚料理でした。 |
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カーフェリー船上からの眺望 | |
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昼食後一路、宿泊地、チャナッカレへ向う。 イスタンブール〜チャナッカレ約320Km バス走行時間約6時間 (内途中35分間カーフェリーに乗船) ホテル到着 19:40 20:30からホテルレストランにて夕食。 今日のホテル KOLIN(コリンホテル) チャナッカレ |
参考資料 ブルーガイド(実業之日本社) わがまま歩き35 トルコから |