悠久のトルコ周遊11日間の旅

2009年10月20日〜2009年10月30日

 3日目 10月22日(水)        チャナッカレ/ホテル KOLIN(コリン) 07:30出発
 ギリシャ神話に登場する伝説の木馬の複製。  世界遺産 トロイ遺跡観光 
 神話で有名なトロイの木馬。誰もがおとぎ話と笑う中、一人の
ドイツ人が情熱と私財をすべてを懸けて、発掘を始め、ついにいは、
美しい妻と共に素晴しい金や白金細工のアクセサリー、黄金の冠
などの財宝を掘り当てることが出来た。この地に初めて集落が出
来たのは紀元前3000年頃、青銅器文明の初期、以後、反映と没
落を繰り返し、アレクサンダー大王もアテナ神殿を奉納した。しかし
長い年月に間に、この町は歴史と共に地中に埋もれてしまった。そ
れを発掘したのが神話を信じたシュリーマンだった。しかし彼は考
古学者ではなかった為、発掘時に他の年代の遺跡を傷つけてし
まった。


  
トロイの木馬

伝説上の木馬は複製。近年に造られた物、2層になっていて、
中に入ることが出来る。伝承では聖域に近い西側の門から木
馬を場内に入れたといわれています。
         トロイの9都市
    第1市      紀元前3000〜2600
    第2市     紀元前2600〜2300
    第3・4・5市  紀元前2300〜1900
    第6市     紀元前1900〜1300

   第7a市   紀元前1300〜1200
   第7b市   紀元前1200〜900
   第8市   紀元前900〜350
   第9市    紀元前350〜200
堅固な城塞(第6子) 城塞

町の防衛線たる堅固な城塞。

 東の塔と城壁(第6市)

 2つの城壁にか挟まれた狭い通路付近が、東の城壁。
通路の途中に門を設けて、外敵からの侵入を防いだ。
トロイ最盛期の遺構の一つ。
二つの城壁に囲まれた通路。

メガロン式住居跡(第1市)

 約4500年前の第1都市、第2市時代の住居跡
石の土台の上に泥レンガの壁が造られていrます。
メガロンとは神殿の原型で入り口ホールのある
支柱のない広間のみの建築様式。
メガロン式住居跡(第1市)
シュリーマンが財宝を掘り当てた遺構(第9市) シュリーマンの遺構(第9市)

 シュリーマンが財宝を発見した場所。聖域の北側に当たる。
彼自身はこれこそトロイ最後の王プリアモスの財宝と信じた
が、実際はそれより1000年以上も前の遺構でした。発掘の
際にかなり破壊されている。
ランプ(第2市)

 南西門から外への出入りに使われた、大きな大理石の敷石で
舗装された坂道。第2市時代につくられた。両脇もきちんと縁取
られています。ただ、車両の通行に用いられたと考えるには斜
度が急すぎるため、使用目的には疑問を投げかけている学者
もいます。高度な土木技術が発達していたことを示す。
高度な土木技術が発達していたことを示すランプ。
中央の祭壇に女神像が置かれ儀式に使われた場所。 聖域(第9市)

 儀式に使われた場所。ギリシャ人が統治した第8〜9市時代
のもので、ペルシャ王が紀元前480年に追うし100頭をアレ
クサンダー大王も紀元前334年にここで神々に供物を捧げた
と言う。井戸は生贄の血を貯めるためのものと、流すための
ものの2つある。
オデオン(第9市)

 トロイの遺跡の中で一番保存状態がよい遺構で、ローマー
支配下時代に作られた小劇場。木製の屋根が付いていて、
小さいながら音響がよかった、ローマ皇帝も訪れたと言わ
れています。大劇場もあったが、今では完全に崩壊してし
まい、痕跡をとどめない。
オデオン(小劇場・第9市)
神話に彩られた南門の廃墟 南門と物見の塔(第6市)

 ホメロスが「スカイア門」と謳ったのがこの南門、トロイの戦士
たちはここから戦場へと出陣して行った。アキレスとトロイ総司
令官ヘクトル緒氏との決闘が行われたのもこの場所で当時南
門は町の大手門で物見の塔も備えていた。
 トロイ遺跡観光後ベルガマへ向かう。 
    チャナッカレ〜ベルガマ
       (約220Km/所要時間3時間30分



    昼食はレストランで煮込み料理とトルコ風ピザ 
   
ベルガモン(ベルガモ)遺跡観光 
 丘の上の遺跡アクロポリス        純白に輝く丘の上の絶景遺跡
       アクロポリス Akropolis 

 ベルガモン王国が最も榮していたのは、エウメネウス2世
(BC197〜159)の時代。アクロポリスは、壮大な建物が
並び、文化の花が咲いた、アタロス世を経て、アタロス3世
の時代になると、王国はローマ帝国の手に渡り、終焉を向え、
実に150年、5代の栄光でした。
遺跡は、町の北側にある丘陵に位置している
最も古いとされる城壁 城壁

 最も古い城壁は紀元前4世紀のもので、入り口付近の
保存状態のよい西側城壁は紀元前2世紀のエウメネス2
世の時代のもの。ブロックと石が混ぜてある部分はビザン
チン時代に造られた。アクロポリスの大手門である。
アテナ神殿 アテナ神殿

紀元前4世紀に造られた、ベルガモンで最も古い遺跡、
女神アテナに捧げられた。現在は、紀元前2世紀にエウ
メネス2世が築いた回廊の基盤のみが残っており往時の
面影は有りません。
図書館跡 アテナ神殿の隣にあった図書館跡。
貯水槽 貯水槽

貯水槽への水は45Km北のピンダソス山から水道橋と
地下水路で引かれている。


地下水路 貯水槽の柱の上にコインを乗せられると、幸福になるとの
言い伝えが有ります。
地下水路 貯水槽
王宮跡地 王宮

東側城壁辺りにはヘレニズム時代の王たちの王宮があった、
初代フィレタイロスのものは兵舎に転用され、城壁に沿って
アタロス2世、アタロス1世、エウメネス2世の王宮が並んだ。
特にエウメネス2世のそれには大きな回廊が有り、貯水槽も
目の前にある。
純白の柱が立ち並ぶトラヤヌス神殿 トラヤヌス神殿

ベルガモンのシンボル的存在、すべて純白の大理石で建立
されたこの神殿は、ローマ皇帝ハドリアヌスによって先帝トラ
ヤヌスに捧げられたものです。2世紀中頃に完成。美しいコリ
ント式列柱とアーチ部分、基盤、その背後にイオニア式列柱
などが残っています。神殿の三方は柱廊に囲まれている。
当時、ローマ皇帝の神殿を建てる事は、町の力や名誉を示す
ものとされた。
基壇下のアーチに支えられた通路や小部屋などの構造も
見逃せない。
見事な浮き彫りが施されたアーチ部分 素晴しい彫刻が施されたアーチ部分。 
イオニア式列柱 トラヤヌス神殿のイオニア式列柱。 
15,000人が収容出来る大劇場 大劇場

丘の南西斜面に造られ、斜度は数ある古代遺跡の
劇場の中でも一番急で、その分景色は素晴しくベル
ガマの町を一望できます。原型は紀元前2世紀に造
られ、現存するのはローマ時代のもの。3世紀にカラ
カラ帝が祈りを捧げ、エウメネス2世の時代に舞台を
木張りから石造りに変えた。劇場の北側にはワインと
演劇の神ディオニソスに捧げられたイオニア式のディ
オニソス神殿が有ります。
広い半円形の客席は15,000人が収容できます。

大劇場への階段

大劇場へ入る階段
大劇場の入り口 

大劇場の入り口
 ディオニソス神殿

ワインと演劇の神ディオニソスに捧げられたイオニア式
神殿の遺跡。
 ワインと演劇の神に捧げたディオニソス神殿
ゼウスの祭壇があった跡、松が植えられてある。 ゼウスの祭壇の基石

ガリア人との戦いの勝利を記念して、ゼウスに捧げられた祭壇。
紀元前2世紀に造られた、高さ2.3m、全長120mに渡って神と
巨人との戦いを描いた浮き彫りもあった。神々にいけにえを捧げ
た場所でキリスト教徒から「サタンの屍」と恐れられた。


         古代人が心と体の癒しを求めた
       アスクレピオン Asklepion

 アクロポリスから川を隔てた対岸の丘の頂上に立つアスクレピオンは、ギリシャ神話で医学の神アスクレビウスに捧げられたもの、伝説ではかりの途中で落馬したベルガモンの青年アルキアスがギリシャで治療し、医術を学び、故郷に戻り築いたのが、ここだといわれている。二千数百年以上たった今でも湧き出る伝説の泉はラジウムを含有しており、多くの病人達を癒したと言う。暗示による精神療法と投薬とリハビリそして観劇によるりらっくす。当時の先端の医療技術を集積した総合病院でした。

               各医療機関が機能的に配置されている遺跡。
石畳が続く聖なる道 聖なる道

入り口を入ると目の前に広がる石畳の道は、アクロポリスの
下市とアスクレピオンを結んでいました。約850mの参道は、
現在は列柱の一部と敷石が約200mほどしか残っていない。
病人はこの道を通って治療に向った。

ここから山の頂上にあるアクアポリスの神殿が見る事が
できます。
プロビロン(門前建築)

 前庭がある建築様式のことで、ここに蛇とお椀の彫刻がある
柱が残っているがこれは、ここでの診察を拒否された重病人
が蛇毒を飲んだら逆に病が完治した由来から、以後蛇とお椀
はこの町のシンボルとなった。 
死はこの門を入るべからず

入り口の壁には「死はこの門を入るべからず」とほられて
あって、入所をの望むものはまず医者の診察を受け、治癒
の見込みがなければ、門内に足を踏み入れることができ
なかった。

入口祭祀場に据えられた蛇とお椀の彫刻された柱。
蛇はアスクレピオンのシンボル。
劇場

 客席は3500席と小規模ながら病院付属の劇場で
ローマ時代のもの、楽しい劇や心地よい音楽を聴いて
思い切り笑ったり感動することも、重要な医療行為と
考えられていた。
3500席の小劇場
コロネード(回廊)

 イオニア式の列柱が連なる北の回廊で、当時は屋根が
かけられ、約250まった。床は泥で、患者にはだしで歩か
せてそれを治療に一環としていた。
水路跡   
今も湧き出す聖なる泉 聖なる泉

 アスクレピオンの伝説を現代もに伝える泉、当時は入浴
治療が行われていたと言う。今でも湧き出す聖なる泉は人
気が有り、観光客はかわるがわる聖水を口に含んでいる。
科学的調査によりラジウム分が検出され、飲料水にはむい
ていない。

泥浴プール

 聖なる泉からの水を導き入浴療法が行われたと言う。
治療棟への地下道の入口 治療棟への地下道の入口。
地下道

 俗世と治癒の場をつなぐと言われた石積みの地下道。聖なる
泉で身を清めた患者は大理石を敷き詰めた、治療棟への地下
道は長さ約80m、天井に穿たれた窓から光が漏れて、聖なる
泉と診療所を結んでいた、患者はここを通るとき、神のお告げ
(医者)を聞いた。
俗世と治癒の場をつなぐと言われた石積みの地下道。
テレスポロス神殿(治療棟) テレスポロス神殿(治療棟)

 実際に治療の行われた場所で、病気回復の神テレスポロス
が祀られ、患者達はここで薬草やマッサージの治療を受けな
がら仮眠し、患者自身の治癒力を引き出しながら治療にあた
っていたと言われています。
入り組んだ水路がもうけてあることから流れる水音も癒しの
効果をもたらしたかもしれません。
 ベルガモン遺跡観光後、宿泊地イズミールへ向う。 ホテル到着、PM18:30
  ベルガモ〜イズミール(約100Km/ 所要時間約1時間30分)
  本日のバス走行距離約320Km/乗車時間5時間

   今日のホテル  イズミール / CROWNE PLAZA (クラウン・プラザ)
   夕食は7:30よりホテルのレストランで。
        



参考資料 ブルーガイド(実業之日本社) わがまま歩き35 トルコから



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