物語    中欧5カ国周遊10日間の旅

2014年5月16日(金)〜2014年5月25日(日)

第3日目  5月18日(日曜日)
 
ベルリン観光

 ベルリン  BERLIN

  ドイツの首都。東西分断の悲劇を乗り越え、文化、学問、芸術の中心地として、先入観や狭い価値観にとらわれずに発展し続ける街である。

ベルガモン博物館 Pergamonmuseum

 古代ギリシャ・ローマのコレクション、古代西アジア美術、東洋美術、イスラム美術の主に四つの部門に分かれたベルリンが誇る博物館。
 
ベルガモン博物館 ベルガモン博物館への入場者の列
ベルガモン博物館 ベルガモン博物館への入場者の列
ヘレニズム建築の古代ベルガモンの<ゼウスの大祭壇」 ヘレニズム建築のミレトスの市場の門
ヘレニズム建築の古代ベルガモンの<ゼウスの大祭壇」 ヘレニズム建築のミレトスの市場の門
タイル張りの動物壁画で有名な古代バビロニアの凱旋門(B.C六世紀前半) タイル張りの動物壁画で有名な古代バビロニアの凱旋道路(B.C六世紀前半)
タイル張りの動物壁画で有名な古代バビロニアの凱旋門(B.C六世紀前半) タイル張りの動物壁画で有名な古代バビロニアの凱旋道路(B.C六世紀前半)
 
ギリシャ神殿の様な建物旧ナショナルギャラリー
  旧ナショナルギャラリー  Alte Natlonalgalerie

 宮廷彫刻家シャドウをはじめとする古典派の彫刻が多く、モネ、セザンヌ、ゴヤなど18・19世紀の巨匠による絵画、ドイツ印象派のマックス・リーパーマン、さらにココシュカなど20世紀初頭の画家の名画もある。
 ギリシャ神殿の様な建物旧ナショナルギャラリー  
東西分裂の象徴となったブランデンブルク門
 ブランデンブルク門 Brandenburger Tor

 ベルリンも他の街と同様に中世は市壁で囲まれていました。その中で唯一現存する門がブランデンブルク門である。
フリードリッヒ・ヴィルヘルム2世によって門は改築され、アテネのアクアポリス神殿の前門プロピレーンを模範に建築家ランクハウスの設計により1791年に完成。6本のドリス式円柱を持ち、門上の勝利の女神とカドリガは彫刻家シャードウの傑作。1806年プロイセンがナポレオンに敗れ持ち去られたが、1814年ナポレオンを破って取り戻しました。
東西分裂の象徴となったブランデンブルク門  
 
ベルリンの壁跡
 
 第二次世界大戦の敗北で、ベルリンは米英仏ソ4ヵ国のもとに共同管理されて、1946年には米英仏とソ連の対立が露わかになり、1949年、ソ連占領されていた東部は東ドイツとなって東西ドイツに分かれ、ベルリンもソ連管理下は東ベルリンとなって、東ドイツの首都に、西ベルリンは西側3国管理のまま西ドイツの特別州となった。
 1961年に東西の壁が築かれて以来ベルリンは二つの世界を持つ都市を形成してきた。1980年代後半東欧諸国で起きた民主化の波は東ドイツにも及び、1989年11月突如ベルリンの壁が解放。翌1990年東西ドイツ統一をはたした。現在、ベルリンは首都として機能し、新しい都市に生まれ変わった。東西分裂の悲劇を忘れ去れない様壁の一部を保存されています。
 
壁の厚みは思ったほど熱くはなかった
 
 
シャルロテンブル宮殿は陶磁器が充実している。
 シャルロッテンブルク宮殿 Schloss Charlottenburg;

 初代プロイセン国王フリードリヒ1世が妃のソフィー・シャルロッテの為に建てたエレガントな宮殿。第2次世界大戦でほぼ電解したが戦後忠実に再建され、戦火を逃れた美術作品が数多く展示されている。プロイセンの歴史を物語る貴重な博物館である。クノーベルスドルフ翼の「黄金の間」は必見。別棟のシンケルパピリオンはイタリア趣味の館で、19世紀前半のベルリン美術コレクションを収蔵する。庭園内のマウゾレウルイーゼ王妃の廟がある。
シャルロテンブル宮殿は陶磁器が充実している。  
 
昼食はレストランにて 
 
昼食後ドレスデンへ専用バスにて向かう。 走行距離約211Km/約3時間
 
ドレスデン DRESDEN

 エルベ川の畔にスラブ人の集落があり、12世紀にマイセン辺境伯の支配下に置かれた。アウグスト2世によって華やかな蝦バロックの都に発展を遂げ、会が建築、音楽面でもドイツ有数の芸術の街となった。第二次世界大戦時、連合軍による大空襲で街は灰燼に帰すことになる。1990年の東西ドイツ統一によって、それまで放置されていたフラウエン教会やドレスデン場などの修復が始まり、今尚工事中の箇所もあるが、修復を終えて再び旧市街地はかってのバロックの町並みがそのまま復元され、優雅な古都のたたずまいを見せています。
 
バロックの建物が建ち並ぶノイマルクト広場 灰燼に帰した建物の瓦礫を広場の石畳として敷き詰められた
 バロックの建物が建ち並ぶノイマルクト広場 灰燼に帰した建物の瓦礫を広場の石畳として敷き詰められた
 
ツヴィンガー宮殿  Zwinger

 ドレスデンのシンボルとなっている宮殿は、ドイツ・バロック建築の巨匠ペッペルマンの傑作。ツヴィンガーとは要塞という意味で、広い中庭では演劇や騎馬試合が行われた。今日、建物の内部は美術館や博物館になっています。
 
 
ドレスデン城  Dresdner Schloss 

 大戦で城はかなりの部分が焼失したが、アウグスト通りに面した馬小屋は損傷が少なかった。馬小屋の外側に描かれたアウグスト健康王の「君主の行進」と題されるタイルの壁画は101mに及び、マイセン焼のタイルが25,000枚も使われています。
 
修復されたドレスデン城
修復されたドレスデン城
タイル壁画「君主の行進」 タイル壁画「君主の行進」
この壁画「君主の行進」はもともとスグラフィット技法で描かれていたが、1907年にマイセン工房によって描き写され、現在のタイル画になった。1200℃で焼かれたマイセン磁器なので、連合軍空爆で城が炎上した時、タイル壁画だけは炎に耐えました。
ゼンパー・オーパー  Semper Oper 

 ゴットフリート・ゼンパーが1841年に完成させた、欧州屈指のオペラハウスとして名高いが1869年に焼失したため、息子のマンフレート・ゼンパーが再建を手掛け1878年に完成した。毎年5月下旬から6月上旬に開かれる「ドレスデン音楽祭」の会場にもなっています。
 
再建されたオペラハウス 再建されたオペラハウス
再建されたオペラハウス
 
ブリュールのテラス  Bruhlsche Terrrasse

 エルベ河畔に沿って、見晴らし台のようにバルコニーが建設されている。アウグスト3世の親友で芸術に秀でていたブリュール伯爵が1738年に造らせた憩いの庭園で、1814年以降に一般に開放された。「ヨーロッパのバルコニー」と呼ばれているように、ここからのエルベの景観は美しい。
 
エルベ河畔に沿って作られたバルコニー テラスからのエルベの眺め
エルベ河畔に沿って作られたバルコニー テラスからのエルベの眺め
 
フラウエン教会  Frauenkiche

 ノイマルクト広場に建つフラウエン教会は、11隻に創建された由緒ある教会で、16世紀に王の高さ95mの大きなバロック様式の境界に建て替えられたが、大戦で瓦礫と化し、長い間そのまま放置されていたが1994年から再建が始まり、すべての瓦礫に番号が付けられ整理され「世界最大のパズル」と言われた作業を経て元の場所に戻されました。
 
世界最大のパズルと言われ再建された教会。 戦火で焼け落ちた教会のドーム部モニメントとして置かれている
世界最大のパズルと言われ再建されたフラウエン教会。 戦火で焼け落ちた教会のドーム部分をモニメントとして置かれている
 
夕食はレストランにてドイツ料理
スープ 定番のソーセージとjポテト、酸っぱいキャベツ  
夕食後宿泊地に向かう。  ホテル到着 PM21:00                                 宿泊地:ドレスデン
宿泊ホテル:LEONARDO FREITAL  121号室
 

 明朝(19日)の予定
 モーニングコール AM06:30  朝食 AM06:30〜  荷物出し AM08:00
 
 
 
参考資料 実業之日本社 わがまま歩きツアーズE  中欧・ドイツ