旅物語 中欧5カ国周遊10日間の旅
2014年5月16日(金)〜2014年5月25日(日)
第9日目 5月24日(土曜日) | ||||||||||||
|
||||||||||||
ハンガリー Hangary ハンガリーは、遊牧民を祖先とするマジャル民族の国で、そもそも896年にウラル山脈の東方から移動してきた人々によって築かれました。幾多の歴史の変遷にさらされながら、豊かな歴史と文化を育んできました。 ラテン系やスラブ系の国に囲まれ「ヨーロッパに投げられたアジアの石」と言われる彼らは、自らをマジャル人と呼んでいる。姓が名前の前にきたり、赤ちゃんのお尻には蒙古斑があったりと日本人と共通している点も少なくはありません。 ハンガリーの国土は変化に富んだ自然であふれている。スロヴァキアとの国境に沿って流れるドナウ川はヴィシュグラードのあたりで大きく南に屈曲し、国土の中心を南北に貫きます。西武は山岳丘陵地帯となっており、中欧最大のバラトン湖が横たわり、ドナウ川以東の南部はブスタと呼ばれる大平原が広がり、北部には世界的な有名なトカイなどのワインの産地を擁する山岳地帯が続きます。 歴史を感じさせる町並み、成熟した文化を堪能できる音楽会、情熱的な民族舞踊、スパイシーな郷土料理、極上ワイン、そして各地に湧き出る薬効あらたかな温泉。ハンガリーの魅力を語りだしたら言葉は尽きない。そして不思議な包容力を持った心地よさゆえか、何度も繰り返し訪れる旅人が多い。ハンガリーの大地と親切で人懐こいマジャル人は、いつでも温かく迎えてくれます。 |
||||||||||||
世界遺産ブダペスト観光 専用バスにて AM09:00宿泊ホテルを出発、ブダペスト観光に向かう。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
東欧のパリと呼ばれる ブダペスト Budapest ハンガリーの首都ブダペストはドナウ川が街の中央を南北に流れ、西岸のブダ、東岸のペストでは全くと言っていいほど異なった景観が広がっています。1987年ドナウ河岸とブダ王宮地区、2002年にはアンドラーシ通りと周辺の歴史地区が、世界遺産にも登録されました。 ブダペストは歴史的に3つの都市が統合されたものであって、ブダの北方は現在オーブダ(旧ブダの意)と呼ばれているが、かってはローマ帝国の属州であり、バンノニアという名の州都であった。ブダがハンガリー王国の都となり城が建設されたのは、13世紀のこと。城は15世紀にルネッサンス様式に大改築され繁栄を謳歌したが、その後、オス安定国の侵攻、ハプスブルク家による支配、第2次世界大戦での破壊など、苦難の歴史を刻んできました。鎖橋が完成し、ドナウによって隔てられていたブダとペストの町がつなげられたのは1849年、3つの町が一つに統合されたのは1873年です。 丘陵地帯のブダは起伏に富んで緑が多く、ドナウ川からせり上がった丘に流転の歴史を繰り返した王宮が構え、西方には小高いヤーノシュ山がそびえている。山裾には閑静な住宅街が広がり穏やかな雰囲気を醸し出しています。 一方ペストは、ブダとは対照的に平坦な地形で、商店やオフィス、官庁や劇場が並ぶ賑やかな商業地帯です。ブタペスト随一の繁盛街であるヴァ―ツィ通りや、緑が続く美しいアンドラーシ通りが走っています。 ブダペストの町自体はそれほど広くはなく、ドナウ川を挟んで点在しています。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
王宮 Royal Palace 王宮の丘の南側に水色のドーム屋根がひときわ目立つ。ここに最初に王宮を建てたのは13世紀半ば、モンゴルの来襲にエステルゴムから逃げてきたハンガリー王ベーラ4世は、この丘の地の利に目をつけ王宮を築くことを決めた。14世紀には当時の王ラヨシュ1世によって増改築が行われ、15世紀になると人文主義者として知られる王マーチャーシュ1世のもと、イタリアなどから職人や芸術家が多数集まり王宮を中心にハンガリー・ルネッサンスが開花し、ハンガリーは中欧のルネッサンスの中心地として栄華を誇ったのである。16世紀には、トルコとの戦いで王宮は壊滅してしまった。 17世紀に入り、ハプスブルク家によってオスマン帝国から解放されると、バロック様式の宮殿が新築され、18世紀には女帝マリア・テレジアのもとで増改築が行われた。19世紀半ば大火災で大部分が焼け落ちてしまった。それを機に再び大改築が行われ、1904年に完成。しかし、その後2度にわたる世界大戦で再び大打撃をこうむった。現在の姿は戦後修復作業を行って、1950年代にようやく完成したものです。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
ブダの丘に堂々と構える王宮 | ||||||||||||
|
||||||||||||
戦後修復された建物 | ||||||||||||
|
||||||||||||
戦火の激しさを物語る壁の残る銃弾の跡 | ||||||||||||
マーチャーシュ教会 Matthias Church ベスト側からブダの丘を望むとまず目に付くのが高い尖塔がそびえる壮麗なゴシック様式の教会がブダペスト最大のマーチャーシュ教会です。 協会が建てられたのは13世紀半ば、王ベーラ4世の命により、聖処女マリアに捧げるべくロマネスク様式でたてられた。14世紀にゴシック様式に建て直され、、15世紀にはマーチャーシュ王が塔を増築しました。それが現在見られる一番高い塔で、マーチャーシュ教会という名称は、王宮の丘で最も目立つ塔がマーチャーシュ王の命により造られたことからきているといわれている。しかし、正式名称は建築目的である「聖処女マリア教会」です。マーチャーシュ王はこの教会で戴冠式と2度の結婚式を挙げている。 1541年にオスマン帝国に占領されると、教会はすぐにモスクに改修され、約150年間、フレスコ画に塗りこめられ、アラーの神の礼拝が行われた。 オスマン帝国から解放された17世紀に再びカトリック教会に戻ったが、ファサードはバロック様式に改装された。19世紀後半、ハプスブルク帝国の皇帝フランツ・ヨージェフ1世と皇妃エルジェーベトがハンガリー王、王妃となるべくこの教会で戴冠式を行った。皇帝はバロック様式のファサードを取り払い美しいゴシック様式の姿にするよう命じた。建築家シュレック・フリジェシュにより古い図面や絵などを基に改修が施されたが第2次世界大戦時に大打撃を受けたが、戦後シェリックが改築された元の姿に忠実に復元した。 内部は美しいステンドグラスや宗教画、石像などで飾られ厳かな雰囲気が漂っている。 この教会は音響効果に優れていることでも知られて、定期的にコンサートが開かれています。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
観光客があふれ常に賑やかな教会前の三位一体広場 | ||||||||||||
|
||||||||||||
|
||||||||||||
厳かな雰囲気を漂わすネオゴシック様式の主祭壇 | ||||||||||||
|
||||||||||||
マーチャーシュ教会へ行く途中、街角で見かけた風景 | ||||||||||||
|
||||||||||||
*トラバント 東ドイツで製造されていた大衆乗用車で東ドイツで物資が不足するようになるとボディ材料の繊維がボール紙様となり、末期には粗悪な製品となっていた事から、「ボール紙のボディの車」と言われることがあるが、これは東ドイツ末期に製造品質が下がって表面の質感がボール紙のように見えたことから西側が仕上げ品質の低さを揶揄した表現であり、実際は長いモデルライフを通じボディの基本材料は綿の繊維を使った繊維強化プラスチック (FRP) である1958年から1991年までの長期にわたって大規模なモデルチェンジは行われないまま生産された。 |
||||||||||||
漁夫の砦 Fishermen’s Bastion ドナウ川に沿ってネオロマネスク様式で建造された、数個の尖塔と廻廊。砦と言っても戦いに使われたものでもなく、マーチャーシュ教会を回収した建築家シュレックが街の美化計画の一環として建造したもので、この名は、かってここに魚市場が立っていたことや、城塞のこのあたりはドナウ川で漁を営む漁夫たちが守っていたことから名付けられた。 白い石灰石でできている建物自体も幻想的で美しいが、ドナウ川と対岸に広がるペスト地区を一望できる絶好のビューポイントである。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
漁夫の砦前に広がる広場、中央に手に持った二重の十字架は聖インシュトヴァ―ンの偉大さを象徴した騎馬像がある | ||||||||||||
|
||||||||||||
ドナウ川に沿ってネオロマネスク様式で建造された、数個の尖塔と廻廊 | ||||||||||||
|
||||||||||||
絶好のビューポイントからのドナウ川と対岸に広がるペスト地区を一望。 | ||||||||||||
ブダ地区観光後レストランにて昼食 。ハンガリービールとグヤーシュという郷土料理でした。 | ||||||||||||
|
||||||||||||
ペスト地区観光 | ||||||||||||
|
||||||||||||
観光客で賑わっている聖イシュトヴァ―ン大聖堂 | ||||||||||||
|
||||||||||||
大聖堂の主祭壇。中央にはキリストではなく、聖イシュトヴァ―ンの彫像が置かれている。 | ||||||||||||
|
||||||||||||
ブタペスト市内観光バス車窓からの観光 | ||||||||||||
アンドラーシ通り Andrassy Boulevard エルジェーベト広場から北東に英雄広場までまっすぐに伸びる美しい大通りで、世界遺産にも登録されているこの通り沿いと、党利から東南に広がる一切は閑静な高級住宅街で、大使館も多い落ち着いた地区である。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
英雄広場 Herors'Square ハンガリー建国1000年を記念して1896年に造られたブダペスト最大の広場で、アンドラーシ通りの北端に位置する。広場の中央には大天使ガブリエルを頂く高さ35mの建国1000年記念碑が建っている。また台座にはマジャル族の首長アーラバードを真ん中に、9世紀後半に現在のハンガリーに足を踏み入れたハンガリー人の祖先ともいえる、マジャル7部族の長の騎馬像がぐるりと並んでいます。 記念碑の左右に扇状に並ぶのは歴代の国王や将軍、芸術家など14人のハンガリーの英雄たち、かって像の列の最後はハプスブルク皇帝フランツ・ヨージェフ1世だったが、共和国宣言後独立戦争の指導者コッシュート・ラヨシュの像が配置されました。 |
||||||||||||
|
||||||||||||
すべての観光が終わり、最後のお土産の購買を終え,帰国の途に就くためブタペスト空港に向かう。 | ||||||||||||
|
||||||||||||
空路 帰国の途に(ドーハ経由関西国際空港) ブタペスト PM 17:05 QR210便 (所要時間 約5時間15分) |
||||||||||||
|
||||||||||||
ドーハ PM 23:20 乗継地到着 | ||||||||||||
第10日目 5月25日(日曜日) | ||||||||||||
乗継地 ドーハ AM 01:35 発 QR802便にて大阪へ (所要時間 約9時間50分) | ||||||||||||
|
||||||||||||
関西国際空港 PM 17:25 到着 参加者全員無事到着後解散 | ||||||||||||
10日間の中欧5カ国周遊旅行も無事終わりました。 | ||||||||||||
|
||||||||||||