悠久のトルコ周遊11日間の旅

2009年10月20日〜2009年10月30日

 4日目 10月23日(木)       
        イズミール/ホテル CROWNE PLAZA(クラウン・プラザ) 07:30出発 一路、エフェソスへ向う。
          イズミール〜エフェソス(約70Km/所要時間1時間30分)


                  エフェス(エフェソス)観光( Efes・Efesos)
                エーゲ海地域唯一の観光地、壮大なエフェソスの遺跡を擁す

 古代遺跡の宝庫であるエーゲ海域だが、最大にして最高に美しいく当時の姿をとどめているのが、エフェス(古代名エフェソス)でしょう。紀元前11世紀に、イオニア人によって築かれた都市国家である。。古代から豊饒の女神アルテミスの信仰されてきた土地としても知られています。ヘレニズム文化が花咲き、ローマ帝国になってからも都市は反映し続けた。キリスト教徒の関わりも深く、聖母マリアは、この地で天に召されたと言われています。

 今は湿地に一本の柱だけが立つアルテミス神殿跡  アルテミス神殿跡 

 今は湿地にただ1本の円柱だけが立っているが、ここに古代世界の七不思議のひとつに数えられる神殿があった。神殿は世界で初めての総大理石作りで、高さ19m、127本の円柱が建ち並び、現在有名なアテネのパルテノン神殿がすっぽり内部に納まるほどの壮大なものでした。

遠方は聖ヨハネ教会と城塞のあるアヤソルクの丘。
手前の建物は、14世紀に建てられたイサベイ・ジャ
ミイ。

  観光の途中、革製品の店に立ち寄り、革製品のファッションショーをチャイを
飲みながら見学。
(観光地では有料トイレが殆どで又トイレのある場所も少ないので立ち寄る店で
無料で使えるが有り難い。)
石造りの小さな聖母マリアの家   

 聖母マリアの家(メリエマナ)Meryemana

聖母マリアは、イエスの弟子の一人ヨハネの世話を受けながら、エフェソス遺跡の南のビュルビュル山中で晩年を過ごしたと言う。マリアの晩年については異説が多いが、エフェソス宗教会議はエフェソス説を認めている。その家の跡に建つ教会には、今も敬虔なクリスチャンが訪れ、ミサが行われている。


石造りの小さな聖母マリアの家
 

 日本と似ているトルコの願掛け

 7人の眠り男の洞窟の脇のフェンスに、小さな布切れが一杯結わいつけられている。日本の神社で木々におみくじを結び付けてある風景にそっくりです。あちこちで同じ風景に出会う。トルコの人達は着古した衣類の端を結びつけて願い事をします。近くに決まって聖人の墓がある。キリスト教の聖者たちの墓にも願をかけるトルコの人々の信仰は、誠にゆとりがある。
 
地中海文明の中で特に重要な遺跡
エフェス(エフェソス)都市遺跡
 B.C.11世紀イオニア人による都市国家がエフェス近郊に出来た。当時はエーゲ海沿いに開けた天然の良港だった。しかしB.C287年リシマコス帝の治世下、生命線である湊が土砂崩れで埋まり、疫病も発生し、ついに帝はコレッソスとピオンの丘に挟まれた盆地に遷都を決定。それが現在に残るエフェスである。B.C2世紀にはローマ帝国の属領となり、帝国有数の都市として繁栄を謳歌した。また、B.C33nenn ,クレオパトラがローマのアントニウスを助けるために200艘の船と共に上陸、つかの間の甘いひと時を過ごしたと言う伝説も残る。聖母マリアがキリストの死後余生を過ごし、聖パウロが布教に努めた結果キリスト教にとっても重要な町となり、教義をめぐる会議も開かれました。
ヴァリウスの浴場 ヴァリウスの浴場
 山側の自然に削られて滑らかになった岩盤を壁に
利用している。

 2世紀に造られた豪華なローマ浴場跡、冷水浴、温水浴、
熱水温室、マッサージ室、脱衣所、トイレなどがある。貧富
の差を問わず利用でき、市民の社交場となっていた。
国営アゴラ
 国営アゴラは160mX56mの広さを誇る聖なる場所。

 紀元前1世紀後半に造られた国家管理下の集会場。政治や
文化、宗教などの重要行事が執り行われた。中央には皇帝ア
ウグストスを祭った神殿もあった。
国営アゴラ
バジリカ バジリカ
3つの回廊を持つ大きなバジリカ。

 もとは国営アゴラの北広間だったのが、アウグストスと彼の妻の
像がここから発掘されている。頭注には雄牛の頭が飾られている。
水路に使った土管
オデオン(小音楽堂) オデオン(小音楽堂)
 
 2世紀中頃に建てられた小音楽堂。収容人員は1400人、当時
は上部に屋根があった。コンサートだけでなく、会議にも使われて
いた。舞台中央に立つと観客席との近さを特に感じる。
プリタネイオン
1世紀のギリシャ語とラテン語が書かれたプリタネイオン
の柱。

 エフェスの象徴たる女神ヘスタの聖火が数世紀にわたり、
日夜灯り続けた場所。紀元前3世紀に完成。その後大規模な
拡張が行われて、聖火を守るのはプリタンと呼ばれる名家で
の高官で名誉職だった。

プリタネイオン
メミウスの碑 メミウスの碑
 
 ボストンの乱からエフェスを平定した、ローマの独裁官スラと
息子ガイウス、孫のメミウスという、三代にわたるエフェスの支
配者を祭ったもの。紀元前1世紀に建てられた。
 ボストンの乱はローマの悪政に対する民衆の抵抗運動であった。
 勝利の女神ニケ

 メミウスの記念碑の向かい側にある勝利の女神ニケのレリーフ。
勝利の女神ニケのレリーフ
ポリオの泉 ポリオの泉
 入口ゲートの三角形のファサードが珍しいポリオの泉

 97年にセクティリウス・ポリオが造った泉。貯水槽の中にあった
トロイ戦争でのオデッセイとポセイドンの息子の活躍を題材にした
彫像はエフェス博物館に展示されている。
クレテス通り  クレテス通り
トラヤヌスの泉 トラヤヌスの泉
壁の窪みには、皇帝トラヤヌス像の足の一部のみが現存
している


 2世紀の初めに作られた、クレティア通りの中央の北側に有り
ます。皇帝トラヤヌスに捧げられた泉。本来、高さ12mあったが
レストア時に縮小して再現された。ディオニソス像などが発掘さ
れています。
モザイクの道

 ハドリアヌス神殿と通りを挟んだ向側には、美しいモザイクが
施された道が残っている。勝手はこの辺には商店が建ち並ん
でいたらしい。
モザイクの道
ハドリアヌス神殿 ハドリアヌス神殿

 138年頃完成した、裕福な市民クインティリウスが皇帝ハドリ
アヌスに献上した神殿。美しく繊細な装飾が施された2つのアー
チの頂上部には市の女神ティケ(前)と、メドゥーサ(後)が彫られ
、壁面にはエフェス建国の伝説(複製)にちなむ猪や、アマゾン族
、アルテミスなど(複製)が四部構成で描かれている。

             画像クリックで拡大します。 
 
 神殿のアーチの手前には市の女神ティケ、置くには花や
アカンサスの葉に包まれたメドゥーサの姿が彫られています。
公衆トイレ

 1世紀に造られた水洗式公衆トイレ。便器前の手洗い用の水も
流れていた。中央にはそれらの水をためる池が有り、屋根は木製
だった。横の仕切りはなく話しながら排泄していたようです。

 床は美しいモザイクで飾られていたのですが現存しない。
公衆トイレ
マゼウスとトリダテスの門 マゼウスとトリダテスの門

 商業アゴラの南門に当たる、マゼウスと巳トリダテスは皇帝
アウグストの奴隷だったが開放され、経済的成功の後、両名が
紀元前3年頃、皇帝一族に寄進したもの、セルスス図書館と商
業地区を結ぶ門。
 
 ラテン語で立小便禁止と警告文も書かれている。
セルスス図書館

 エフェスで一番優美な建築物。この地の統治者であった
セルススをしのび、息子ティベリウスが建立したもの。117
年に完成、セルススの墓は図書館の壁下にあった。1万冊を
越える蔵書を誇り、アレクサンドリアと肩を並べていた。263
年ゴート人の襲撃により消失してしまった。






              細部まで繊細な装飾を凝らした柱頭と梁。
セルスス図書館
画像クリックで拡大します。
画像クリックで拡大します。
港通り(アルカディアン通り) 港通り(アルカディアン通り)
 アントニウスとクレオパトラも歩いたアルカディアン通り
 
 港から大劇場へと続く幅11m、長さ500mのプロムナード。
紀元前1世紀に造られた。両側にアーケード付きの商店が建
ち並び、夜には街灯が灯った。国家要人の歓迎式典もここで
行われました。
大劇場
今でも夏にはここで多くの催し物が開かれる、現役の劇場!

 収容人員25000人を誇る、ヘレニズム〜ローマ期でも最大級の
古代劇場。紀元前3世紀に完成、観客席に高さは38m、広さは直径
158mの半月形、今でもメヴラーナの舞やオペラに使用されている、
上階からの眺めが良い。
 舞台の中央で手をたたくとその反響の与謝に驚かされます。
25000人収容する大劇場
  エフェソス遺跡観光後、レストランにて昼食。
 メインは魚のグリル。他に野菜サラダ

  
  昼食後、パムッカレへ向う。
   エフェソス〜パムッカレ
    (約215Km/走行時間3時間)

 世界遺産ヒエラポリスとパムッカレ観光 (Hierapolis/Pamukkale)
 パムッカレとは、「綿の城塞」を意味する。その名の通り、まるで白い綿を一面に敷き詰めたような石灰棚が続く、不思議な風景を作り出しているのは、この地に湧き出る石灰分を多く含んだ温泉が崖を流れ、長い年月の間に、純白の棚田のような景観を生み出した。この温泉を利用したリゾート地としても人気が高く、歴史も古い。石灰棚の近くには、ベルガモン王国の時代に築かれたヒエラポリス都市遺跡も残っている。
      石灰棚の上の聖なる古代都市
        ヒエラポリス(Hierapolis)
 石灰棚の背後に広がる都市遺跡。紀元前2世紀、ベルガモン王国のエウメネスU世によってひらかれた。”ヒエラポリス”とは、聖なる都市という意味で当時は、宗教的儀式の行われる場所であったようです。その後、ローマの支配になり、何度かの地震に遭いながらも、都市は繁栄を続けた。衰退したのは12世紀になってからのことです。1887年、ドイツのチームによって発掘が始められ、現在も続けられています。
ビザンチン門(南門)
 
 ヒエラポリスの南側入口に当たる南ビザンチン門と、北入口
にある北ビザンチン門の二つがあるが、北の方が有名で保存
状態も良いようです。都市防衛の要としての役割が有り銃眼が
穿たれている。4世紀末に建てられた。
      野外劇場とその周辺の建物

 2世紀のハドリアヌス帝の治世下に造られ、3世紀に
舞台が大改修された。ヒエラポリスの中で一番保存状態
がよい遺構で、直径100mに及ぶ半円形のげきじょうで、
収容人員15,00人。皇帝を称える碑文や神像が飾られ
ている。
     考古学博物館(ローマ大浴場跡)

 博物館は、ローマ大浴場の遺構を改修し利用したいる。
この浴場は、初めにあった都市再建のときに、地震後の
浴場複合施設として建造されたもの。
館内には、見事な石棺、ヒエラポリスとアフロディシアスなど
からの出土品、彫刻、彫像類が展示されている。又展示館の
外には浴場に付属していた体育訓練場などの意向が見られ
ます。
ビザンチン門(北門)

    北の浴場(写真左手の建物
 3世紀に造られたローマ式の浴場。三つのアーチが印象的で、
かっては大きなドームもあった。4世紀に改修され、外光も調節
する機能も取り入れられた、5世紀に教会(バジリカ)に改造され
た。

     
    ローマ門(写真左手より二つ目のアーチの建物)
 アルカディア通りの北を護る門。元老院副議長フロンティ
ニウスがローマ皇帝ドミティアンに捧げたもので、美しい三つの
アーチ部分と力強い円筒形の塔が印象的、1世紀に造られた。


   ビザンチン門(北門)(写真右手の建物)

世界遺産/綿の城と呼ばれる世界屈指の奇観
石灰棚 
(Pamukkale)


 
丘陵を流れ下る石灰を含んだ温泉水が、長い年月を
かけて白い城を造り上げた。幾重もの白い岩棚が、目
の前に立ちはだかる風景は感動的である。

 石灰棚を保護のため裸足で歩くことが義務付けられて
いるので、かなり足の裏が痛い。



 様々な風景は画像をクリックしてくださいスライドショーで
見ることが出来ます。
 パムッカレ観光後ホテルの向う。 ホテル到着 PM18:30
 本日のバス走行距離285Km 所要時間4時間30分
 宿泊地 パムッカレ COLOSSAE HOTELTHERMAL(コロッサエ ホテルサーマル)


参考資料 ブルーガイド(実業之日本社) わがまま歩き35 トルコから



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