悠久のトルコ周遊11日間の旅

2009年10月20日〜2009年10月30日

 5日目 10月24日(土)             コンヤ市内観光       
     パムッカレコロッサエ ホテル  AM08:00 出発昨日、石灰棚の全体風景が見られなかったのでもう一度、
    石灰棚が見える場所まで行き、その後コンヤに向かう。
石灰棚全景
 パムッカレ〜コンヤ バス走行距離 約450Km 所要時間 約5時間
大理石採石跡  バスでコンヤへ向う途中に見かけた大理石、採石場跡。

コンヤへ向かう途中レストランで昼食料理はナスケバブ
レストラン スープトルコピッザナスケバブデザート・アイス焼きプリン
 コンヤ  (Konya)    
 コンヤが最盛期を迎えたのは11〜13世紀、セルジュク朝の首都が置かれたころ、交易の中枢として隆盛を誇り、
秀麗な神学校やジャミイを今に残した。旋回舞踊で有名なメヴラーナ教の総本山も在った撮るこの古都である。
   コンヤ市内
  良く整備された道路                             画像をクリックすると拡大画像になります。


インジェ・ミナーレ神学校(彫刻博物館)  インジェ・ミナーレ神学校 (彫刻博物館) 
 
 Ince Minare Medresesi

 1267年にイスラム神学校として造られた。インジェ・
ミナーレ(細長い尖塔)は、落雷で折れて短くなったが、
そのままの名で呼ばれている。
 現在は、セルジュクとオスマンの石彫・木彫を展示する
博物館になっている。
 見上げていると吸い込まれそうな美しいドーム  石彫にある双頭の鷲は、スルタンとその妃を表している。    
 
メプラーナ博物館正門入口付近  メブラーナ博物館 (Mevlana Muzesi)

 旋舞教団として知られるイスラーム神秘主義の一派、メヴレヴィー教団の創始者メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟で6500uの敷地内にはジャーミィ、僧院、修行場もある。緑のタイルで覆われた円錐形の屋根を持つ霊廟は、13世紀末に造られたもので、外の部分はオスマン朝時代にスュレイマン大帝らの寄進により建設された。メヴラーナの死後、1925年にアタテュルクの命令によって、修行場は閉鎖、教団も解散させられたが、1927年3月3日以降、霊廟が博物館として一般に公開された。
 入口正面の部屋には棺がずらりと並び、金刺繍の施されたカバーがかけられている。最も大きく重厚で豪奢なのが、最奥に安置されているのがメヴラーナの棺です。
 
  修復中の尖塔
   
セリミエ・ジャミイは巨大な建造物だがその姿は優美だ。細く高いミナーレは町の何処からでも見える。  セリミエ・ジャミィ (Selimiys Gamii)

 スルタン・セリム2世の命により1575年に完成。オスマンの大建築家スィナンの設計で、このとき彼の歳は80の半ばを過ぎていました。そしてスィナンは、このジャミイは自身の最高傑作と言っていました。
 大ドームとそれを囲む細く高いミナーレと之バランスが微妙で、優美。8本の柱に支えられた大ドームは高さ43m余り、直径は31m余りで、イスタンブールのアヤソフィア聖堂に匹敵する建物です。

コンヤ市内観光後カッパドキアへ向う、途中、キャラバンサライ(隊商宿跡)の見学。

キャラバンサライ正門  かっての隊商宿の面影を残す重厚な建物
 キャラバンサライ(隊商宿跡) 
 中央アナトリアが貿易路と栄えた時代に、隊商の宿泊所
として建てられた。入口を入ると中庭になっており、中央に
男性が2階で礼拝を行う礼拝堂がある。周囲を取り囲む回
廊式の建物には、食堂やハマム、宿泊場所、ラクダをつな
ぐ場所などが設けられている。

キャラバンサライ観光後宿泊地、カッパドキアに向う。ホテル到着 PM19:00 
コンヤ〜カッパドキア バス走行距離 約220Km 所要時間約3時間30分
本日のバス走行距離650Km 所要時間8時間30分

今日のホテル   DINLER (ディンレル)    カッパドキア
夕食はホテルレストランにて PM 19:50〜

参考資料 ブルーガイド(実業之日本社) わがまま歩き35 トルコから

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